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LOUDNESS 豆日記&情報
僕がLOUDNESSのオーディションに合格して、しばらくひぐっつあんのマンションに居候していた。
いやーひぐっつあんには本当にお世話になった。
僕は居候の身だから本当は僕が家主であるひぐっつあんに色々と気を使わなけらばならないのに、逆に色んな身の回りの世話をやってくれた。
僕が居候していた間僕達は毎日昼前に起床。
ひぐっつあんは起床したらすぐに部屋をきれいに片付けて掃除機をかける所から一日は始まった。
僕が脱ぎ捨てた洋服なんかも片付けて洗濯もしてくれた。
朝ごはんを作ってもらい、シャワーを浴びて、ひぐっつあんはレージーの仕事に出かけた。
僕はその間、お留守番だったなぁ。
夕方にレージーの仕事から帰ってきて、夕方からビール呑みながら将棋。
ひぐっつあん将棋目茶強い、と言うか僕が弱すぎたのか、飛車角金すべて無しでも勝てなかった。
そして本格的に夜になったら、近所の中華料理屋があってそこで毎日餃子とビールだ。
ひとしきり、ビールを飲んだりしたら下北沢へ繰り出た。
下北沢でテンソウや桑田バンドの人達や、その頃勢いのあったバンド連中と朝まで飲んだ。
朝方マンションに帰って来てひぐっつあんが布団を敷いてくれて沈没。
東京に出てくる前は体重が46キロぐらいしかなかったけれど、あっという間に53キロになった・・・。
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シャラ元気~~?今日もブログ見てくれておおきに!
最近RUSHの話題が出たけれど、その時にあまりに懐かしくなってRUSHのCDを3枚も買ってしまった。
で、今日その3枚の一枚、RUSHのライブアルバム"ALL THE WARLD'S A STAGE"を聞いていると急にシャラの声が聞きたくなって電話した。
シャラはアースシェイカーのツアーで岡山にいた。
「友達に聞いてニーちゃんのブログ読んでるで~~~~」と笑っていた。
恐る恐る
「あのぉー今書いてる昔話やねんけどぉ、やっぱり記憶違いしてるかなぁ?」と聞くと
「おぉ~そやなぁ~かなり間違っているなぁ~~~」・・・うぅ~~やっぱりぃ。(汗
「まぁーそうやけど別にええんちゃうか~おもろいしぃ」と慰めてくれた。
そこで今日シャラと電話で判明したこと;
その1
「Drのわったんは大学1年の終わりまでアースシェイカーでやっていた!!!!」だったぁ~~~!!!
ひゃ~~~~がび~~~~ん!!!!
やっても~~た~~~!!!
そう言えば、わったん甲南大学行っていたのをすっかり忘れていた・・・。
大学途中でアメリカ留学やったなぁ・・。
なので、わったんのくだりを訂正し、もしわったんこれ読んでいたら「謝罪申し上げすぅ~」
その2
「僕のあのフレッシュベース、みんなの悪評もありすぐに矢沢栄吉モデルの琵琶ベースに買い換えていた」らしい・・・
シャラにそれを言われた時に全く記憶に無かったけれど、今何となくうっすらとそのベースの記憶が蘇ってきた。
しか~しだぁ~~~、なんでよりによって琵琶ベースやねん?>俺
その後、ちょこちょこっとシャラに昔のことをインタビューしてこれから書くことの確認をしました。
とは言うものの、これから書く昔話も一応半分創作/半分事実と言うスタンスにしておきますわ!
関係各位殿、その辺容赦してくださいませぇ~~。
それにしてももしシャラが自叙伝のようなものを書いた時、僕の内容と大きく違っていたらどうしましょう・・・。
シャラは物覚え良いからなぁ・・・。
高校生のときのリハーサルのテープとか未だに持ってるし・・・・。
困った、困った・・。
ちなみに、
アースシェイカーの新譜情報はココ
現在アースシェイカー新譜引っさげて全国ツアーも頑張っています、是非見に行ってやってくださいなぁ!!
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モンチッチと坊主頭、ハードロックバンドだけではなくてフォークシンガーのバック演奏をやっていたことがある。
そのシンガー、頭の形が金魚蜂をひっくりかえしたような髪型のせいであだ名が「金魚蜂」と言われていた。
彼が軽音楽部に所属していたのかどうかは記憶に無い上に何故僕とシャラが彼のバックで演奏をすることになったのかも記憶にない。
一応フォークソロなのだけど「金魚蜂バンド」と言う名前が付いていた。
彼のオリジナル曲ばかりをやっていたと思う。
バック演奏と言っても、他にドラムやキーボードがいたわけでもなく、生ギターの彼と僕とシャラと言う編成だった。
そのシンガー君の地元が奈良と言うこともあって、「金魚蜂バンド」の活動は奈良が多かった。
幾度と無くシャラと一緒に近鉄奈良線に乗って奈良へ行った。
ある日、その「金魚蜂バンド」で奈良のアマチュアバンドのイヴェントに出演した。
そのイヴェントのトリを勤めたのが「リッキー&11A'リパブリックバンド」と言うリッキーさんがヴォーカルとバックミュージシャンが3人組の格好良いソウルバンドだった。
僕はベースだったからそのリッキーさんのバンドのベースの人にとても感銘を受けた。
そのイヴェント後も大阪のリハーサルスタジオでそのベースの人に会うことがあって「よー金魚蜂バンドやんけ、元気?」と気さくに声を掛けもらった。
そのベースの人その後、世良正則&ツイストでデビューして瞬く間に有名になって、世良さんの後は大友康平さんのHOUD DOGに加入した。
今でも、そのベーシスト「サメやん」こと「鮫島秀樹」さんに会うたびに「よー金魚蜂バンドやんけ、元気?」と声を掛けられる・・。(笑
ある日、「金魚蜂バンド」の練習(だったと思う)でシャラと一緒に近鉄の電車に乗って、二人たわいも無い話をしていた。
アースシェイカーのことやらの話からいきなり「どこの大学行く?」とか話になって、将来の話になった。
「かなりアホやから大学なんか行かれへんなぁ・・・」とか僕は言っていた。
「ほんで、シャラどーすんねん、将来何すんねん?」と僕が聞いた。
シャラは僕の顔を見据えて真剣に言った。
「俺はプロになるで」
しばらくシャラの言っている意味が分からなかった・・・。
シャラはすでにロックミュージシャンのプロへの野望の炎を燃やしていた。
「ニーちゃんやろうや!プロになろうや!」
僕は腰が抜けた。
ロックが職業になるなんて想像すら出来なかった。
「行けるで。絶対に行けるで。プロでもやっていけるで!俺は絶対にプロになるで」
シャラは確信のある眼差しだった。
僕はその決意に満足に返答も出来ないまま戸惑った。
近鉄電車の窓から差し込む太陽が今までに無いぐらいまぶしく光輝いていた・・・・。
電車は心地よく揺れながら生駒山に近づいてきた。
今でもあの時の情景は忘れない。
そして、あの時、太陽はシャラの決意を祝福しているようだった。