サンフンシスコ空港早朝。
早朝にもかかわらず、地元で知り合ったファンの人達が空港まで見送りに来ていた。
とても嬉しかった。
日本のロックファンが外タレの追っかけをして空港まで出迎えたり、見送りをしたり、こういう事は日本人ファンの専売特許と思っていたけれど、アメリカ人も同じことをするとは驚きだった。
もっとも、日本の追っかけの場合は多くが女の子であったりするのだけれど、ことメタルバンドに関してはアメリカやヨーロッパでは男性ファンの人達が熱心に追っかけをするようだ。
飛行機の離陸時間が変更になり、離陸までまだ5時時間以上あった。
離陸時間まで空港のレストランで待機することになった。
一緒にファンの人達もレストランまで移動。
さすがに朝が早いので彼らも疲れているようだったけれど・・・。
彼らも何か色々と話しかけてくれるのだが、いかんせん英語が通じないので気の毒だった。
彼らと会話らしい会話も出来ないまま、レストランでじっとお互い無言のまま時間を潰した。
それにしても飛行機の搭乗時間までずっと一緒にいてくれて本当に恐縮した。
いよいよ飛行機に搭乗する時間が来て、「又、絶対にアメリカに戻って来てくれよ!!」と言う彼等の切なる気持ちが痛いほど分かった。
いつまでも彼等は手を振ってくれた、僕達が見えなくなるまで・・・。
兎にも角にも、LOUDNESS初めての海外公演が終わった。
当時23歳だった僕にとって、この海外公演の経験はミュージシャンとしてとても大きく成長させたと思う。
勿論、一人の人間としてもこの貴重な体験は僕を大きく成長させたことは間違いない。
人から何百時間、話として教わっても決して得ることの出来ない大事な何かを体験できたのだ。
こういう体験をさせてくれたあらゆる人々に感謝の気持ちで一杯だった。
飛行機の窓からサンフランシスコの町を眺めながら、絶対にまたアメリカに戻って来るぞと何度も自分に言い聞かせた。
この時、LOUDNESSが再びアメリカに戻ってライブが出来る確たる根拠は無かったけれど、心のどこかでLOUDNESSは当然アメリカに再び戻ってくると信じきっていた。
LOUDNESSにとって、アメリカでどんな未来が待っているのか当然知る由も無かったけれど、確固たる信念と夢がこのバンドにはあった。
そう言う熱い気持ちがすべて将来の地図を書き換えるのだ。
決して夢は諦めてはいけない、捨ててはいけないのだ。
揺らぎの無い気持ちがあれば、自分の未来はその実現に向かってどんどん進む。
揺らぎの無い気持ちがあれば、すべての状況が整い始め、夢実現へと運命は変化進化していくものだ。
LOUDNESSはまさにそれを証明していたと思う。
沢山の出会い、貴重な体験を胸に僕達はこの国を後にした。
帰りの飛行機は長かった・・・・。
アメリカから帰ってきて一息つくまもなく、8月31日には大阪の野外ロックイヴェントに出演。
夏の野外イヴェントだったけれど、あまりの暑さと時差ボケで夢遊病者のような状態でライブをやってしまい、後でマネージェーにこっぴどく怒られた・・・。
時差は日本に戻ってきてからのほうがキツイようだった。
このライブ終了後、すぐさま「ロードレーサー」「蜃気楼」のシングルレコードのレコーディングのために数日スタジオに入った。
ちなみに、「ロードレーサー」はレース番組のテーマ曲として注文が来ていたので作りやすかった。
一つ具体的なテーマがあれば楽曲が作りやすいと言うことを知り、次のアルバムではこの手法で行こうとタッカンと話たりもした。
結局、そんな方法では次のアルバムは作らなかったけれど・・・。
レコーディングをしながら雑誌などのメディア取材を受ける。
アメリカ公演直後ではあったけれど、その話題が出るのはロック雑誌ぐらいなもので、まだ一般誌に取り上げられる程ほどではなかった。
シングルレコーディング後には、すぐに始めてのヨーロッパ公演も間近に迫り、尚且つ、そのツアー直後には4枚目のアルバムのレコーディングがイギリスはロンドンで待っていた。
僕達はシングルの曲を作りながらも、次のアルバム「ディスイリュージョン」の楽曲も作ることになっていた。
まさにてんやわんや状態であった。
タッカンはいつ曲を作っているのかと思っていたけれど、アイデアは溢れていた。
まさに神が降りていた。
スタジオでは相変わらず爆音セッションで曲作りをやってはいたけれど、タッカンの歌メロディーや各楽器のアレンジの具体的な指定が顕著になった。
プログレシッブ度が高まり、複雑な楽曲アレンジを積極的に挑戦した。
この頃、アメリカ公演でバンドは益々一体感を増して、絆も強くなったと思う。
怒涛の勢いは誰にも予測できないほどに凄まじいものとなった。
そんな日々を送っていたある日、くたくたになって自分のアパートに戻ってポストの中を見るとエアーメールが届いていた。
(わっ!海外から手紙や・・・)
封筒に、”Michele”と言う名前が書いてあった。
僕は何度も何度も封筒を見た。
嬉しくって手が震えた・・・・。