(歓声が日本のオーディエンスのトーンと違うなぁ・・・!!)
それは、海外アーティストのライブ盤で聴くことが出来るオーディエンスの歓声であった。
日本人はどちらかと言うと普通の大声で「ウォ~~!」と発するのに対して、アメリカ人の歓声はどちらかと言えば奇声と言うか、裏声を張り上げる感じである。
そして、日本人の歓声が皆一様に同じタイミングで発し、大体同じような長さで「ウォ~」と張り上げたら同じようなタイミングでフェードアウトするけれど、アメリカ人の歓声は各自が好きなタイミングで好きな長さを好きなだけ発声しているような感じがする。
日本人の歓声は波のようにうねりがあって、歓声の盛り上がり下がりの波が一定であるけれど、アメリカ人はずっとマキシマムな奇声が続いている感じがするのだ。
その上、アメリカ人の歓声は奇声の中に凄まじい指笛が混ざっているのも特徴的だ。
(うわ~ほんまにアメリカのライブや~)
僕はその独特な歓声を聞きながら喉がカラカラになっていた。
出来ることならこの場所から逃げ出したいとも思った。
確かに中学生の時、ロックを聴き始めの頃は洋楽に憧れた。
アメリカ人やイギリス人がやるバンドに憧れた。
確かに高校生の時、バンドを始めた頃は色んな場所でライブをしたいと思ったけれど、海外でライブをやることは想定外であり「夢」にも思わなかった。
そして、ロック雑誌「MUSIC LIFE」を読みながら海外のライブにも憧れた。
それはあくまで海外で本物のライブを「観たい」と言う「夢」であり、まさか海外でライブを「やる」なんて言う「夢」ではなかった。
そんな恐れ多いことは考えだにしなかった。
タッカンと出会って「海外」と言う言葉がようやく「夢」として僕の意識の中に入り込んできた。
僕にとってはあくまでも「いつか」「そのうち」「いずれはね・・・」と言う次元のことだったけれど、正直に言うとまさかこんなにすぐに海外ライブが実現するとは思っていなかった。
“ Hello! Sanfransisco!! How are ya doing tonight? It’s so great to be here in Sanfransiscoooooooooo!!”
ダニーが挨拶MCの決まり文句の英文を書いてくれたのを何度も読んだ。
このラインを何度も読めば読むほど緊張度は増した。
今更、MCの心配をしても仕方がないので根性を決めた。
(無駄な抵抗してもアカンやろ、日本語でやったろ!)
LOUDNESSの前に数バンドの演奏があった。
自分のことに一杯で前座のバンドの演奏はあまり耳に入らなかったけれど、時折聞こえてくる演奏や歌声が本物のサウンドだった。
観客も大いに楽しんで盛り上がっているようだった。
このライブハウスに充満している空気はまさに「楽しんでいる」と言う空気だった。
みんなリラックスしてロックを楽しんでいるのだ。
楽しみ方を知り尽くしていると言うのか?
ロックの歴史を感じさせる空気である。
夜が10時を回ったころか、「そろそろ出番だぞ!」
マネージャーが楽屋に来た。
「おい、お客さん物凄い盛り上がってるぞ!」
マネージャーも汗びっしょりで走り回っていた。
「いよいよ出番やな!」
タッカンが緊張した面持ちでつぶやいた。
「ガツンといったろうや!」
マー君が言った。
「緊張せんと行こうや!」
タバコを吸いながら、スティックでストレッチをしながらひぐっつあんが言った。
僕はもう頭が真っ白になっていた。
「メンバーは客電が落ちるのでステージサイドにスタンバってください!」
そんなことを現地スタッフが英語で叫んだ。
僕たち4人はそれぞれの楽器を持ってステージの横に立って出番を待った。
ステージにはカーテンが降ろされていた。
暗転と同時にカーテンが開いた。
“WOOOOOOOO!!!!!YEAH!!!!!!!!”
凄まじい歓声が上がった。
そしてすぐに、LOUDNESSのオープニングSEが流れた。
SEと共に手拍子が聞こえた。
ステージの横で歓声と手拍子を聞きながらステージに出るタイミングを待った。
「思いっきり行けよ!!」
マネージャーの号令と共にLOUDNESSの4人は「オりゃ~~~!!」と気合を入れてステージへ飛び出した。
ステージの上はまだ薄暗い照明でオーディエンスを煽っている。
僕は歓声を上げているオーディエンスの方を見た。
(ふんぎゃ~~~~~!!!金髪が会場を埋めつくしているがなぁ~~~~~!!)
当たり前のことなのだが、こんなに多くの白人金髪のオーディエンスを見たことが無かったので目の前の光景が信じられなかった。
そして、暗転になっているはずの客席が金髪のせいかほのかに明るいのだ。
オーディエンスは皆腕をあげコブシ作って何やら叫んでいるのだが、何を言っているのかさっぱり分からなかった。
でもオーディエンスが物凄く歓迎しているのは感じた。
お陰で緊張が少しほぐれた!
オーディエンス達の目はまるで子供を見るような目であった。
小柄な東洋人4人のメタルバンドである当然のことだ。
珍しい動物を目の当たりにしたときのような興味津々の目でもあった。
僕たちがあまりに子供っぽく見えたのか、” OH MY !!”と言って口をあんぐりしている女性もいた。
前座のバンドが刺青の入った髭を生やした大男たちの集団だっただけに、尚更僕たちは幼く見えたことだろう!
タッカンがギターアンプの確認で数フレーズ弾いた。
その瞬間又歓声が上がった。
ひぐっつあんもキックドラムを踏んだ。
「ドド、ドン、ドン、ドン、ドン」
オーディエンスは歓声と共にそれに合わせて手拍子をした。
もう既に場内は熱気で溢れかえっていた。
そして僕は叫んだ。
“OH YEAH!!!!!!!”
その時会場内のボルテージは最高潮になった。
僕の叫び声に負けないぐらいの大歓声が返ってきた!
僕は嬉しかった。
すでに緊張は無くなっていた。
いつもの調子で行けると確信した。
ついに、タッカンがIN THE MIRRORのイントロを弾き始めた!
その瞬間最前列のメタルキッズが物凄いヘッドバンギングを始めた。
そしてひぐっつあんとマー君が絶妙なタイミングでイントロに突入して、会場内をそのグルーブで揺らしたのだ。
このメタル然としたスピード感一杯のリフに合わせて最前列から半分ほどのオーディエンスの首の振りようたるや尋常ではなかった。
そして、残り半分のオーディエンスは完全に凍りつき動きがとまった。
皆一様に「なんじゃこいつら!!」と言った目で我々を凝視していた。
子供を見るような目をしていた人達は、最早我を忘れてLOUDNESSの演奏にロックにのめり込んでいるようだった。
僕はありったけの声を出して歌った。
喉の調子もばっちりだった!!
歌詞は日本語だったけれどまったく問題ない様子だった。
中には一緒に歌おうとしているキッズもいた。(笑)
そしてギターソロに突入した。
タッカンはロック魂全開の凄まじいソロで会場を震撼させた。
照明はタッカンを煽りまくり、PAのサウンドも爆発しているような鬼気迫る爆音を吐き出していた。
ギターソロ明けのブレークパートが来た。
“OH YEAH!!! SANFRANSISCOOOOOOOOOOO!!!!”
ひぐっつあんとマー君のアクセントに乗って僕は叫んだ。
“WOOOOOOOO!!!!!!!!”
PAの爆音に負けないぐらいの大歓声が返ってきた!!!
この野太い大歓声を聞いたとき死んでも良いと思った。
僕の中にいる魂が喜び叫んでいるのが分かった。
僕は何かが憑依したかのようにトランス状態になった。
素晴らしいエネルギーに包まれた。
言葉も超え、人種も超えた幸福のエネルギーだった。
そしてインザミラーのエンディングが来た。
演奏に度肝を抜かれていたオーディエンスが我に返って大声を張り上げていた。
オーディエンスも皆一つになっていた。
ステージもオーディエンスも完全に一つになった!!
そしてライブハウス全部に笑顔が溢れた。
ステージの横を見ると、現地のスタッフやローディー達全員がハイタッチをして喜んでいた。
ライブハウスのスタッフは信じられないと言うゼスチャーをしながら僕に笑顔で親指を立てた。
“YEAH!!!!!!!!!LOUDNESS!!! LOUDNESS!!! LOUDNESS!!! LOUDNESS!!! LOUDNESS!!!”
1曲目が終わったばかりだけど凄まじいLOUDNESSコールが始まった。
そして足踏みで床をドンドン鳴らした。
スピードチューン連発のLOUDNESSの初めてのサンフランシスコ公演は嵐のように終わった。
凄まじいLOUDNESSコールを聞きながらステージを後にした。
楽屋に戻ってきたメンバーは息をゼーぜーしながらしばらく呆然とした。
みんな感動で言葉が出なかった。
「凄いライブやったな・・・・」
誰かがつぶやいた・・・・。
1983年7月11日
23歳の僕にとって忘れることのできない経験だった。
僕は少し大人になった気がした。
