飛行機は始終雲より遥か高い所を飛行し、窓から見える外の景色はそれまでの人生で経験のしたことの無い色彩に溢れていた。
空はどこまでも青く、曇りが無かった。
飛行中何度か断続的に眠りに落ちたけれど、目を開けるたびに「もう着いたか?」と独り言を言った。
成田を出発した時は夕方4時ごろだったけれど、いつの間にか太陽は見えなくなり、遥か彼方、地球の端へ落ちて行ったようだ。
太陽は見えなくなったけれど、空はますます青くなって、太陽が落ちて行った所がピンク色に染まった。
その風景がとても幻想的で吸い込まれるように見とれた。
飛行中、たどたどしい英語で食事を注文し、ビールを呑み、再び眠りに落ちた。
何度目かの目覚めで窓の外が少し再び明るくなってきたのを感じた。
今度は太陽が姿を現してきたのだ・・・。
相変わらず飛行機は雲の遥か上を飛行していたけれど、いったい眼下に広がる雲の下はどうなっているのか興味があった。
いつの間にか、ずっと向こうの方におぼろげながら大陸が見えてきた・・・。
(おっ!あれはアメリカかなんか?)
僕は始めてみるアメリカに興奮した。
見る見るうちに、大陸はその姿をはっきりと現した。
まさに穴が開くほどに見とれた。
気がついたら、眼下には町並みや家らしきものが見えてきた。
車が動いているのが見えた、ビルが見えた、野球場らしきものが見えた、広大な畑が見えた・・。
「当機はまもなくサンフランシスコ空港に到着します・・・・」
機内のモニター画面には現地の朝のトークショーが映し出されていた。
早口で何を言っているのかさっぱり分からなかったけれど、どこの国も朝のバラエティー番組は似たようなものだと思った。
飛行機は大きく旋回をはじめ着陸態勢に入った。
窓の外はサンフランシスコの町なのか?大きなビルの群れや忙しそうに走る車が見えた。
(いよいよやなぁ・・・)
不思議と緊張もなかった。
これから初めてのアメリカライブだと言うのに、まるで人事のような気分だった。
入国審査も無事終わり、観光旅行とは思えないような楽器の群れをメンバー4人とマネージャーで運んだ。
観光客のアメリカ人を見たことはあっても、制服を着てしっかり忙しそうに働いているアメリカ人を直に見るのは初めてだったので不思議な感じがした。
白人で金髪のお人形さんのような綺麗な女性が売店にいた。
黒人のでっぷりとした警察官、シルベスタースターローンのような人が荷物を運んでいた。
何もかもが不思議だった。
溢れかえる人を掻き分けて、LOUDNESS一同はやっとサンフランシスコ空港の外に出た。
「やった~~~サンフランシスコ上陸や!!」
誰かが言った。
日差しがきついけれど、空気が軽いような気がした。
ダニーが迎えに来ていて、早速車でホテルへ向かった。
移動中、外の車を見ながら誰かが言った。
「いっぱい外国人が運転してるでぇ~」
「あほか、今は俺らが外国人やろ!」
あまり面白くも無いお決まりの会話をしながら外の風景を見て、異国にいることを再確認したのだ。
決して高級ホテルでは無い、モーテル風ホテルへチェックイン。
このホテルの部屋に入ったとたん、部屋に充満する日本ではなじみの無い香料の匂いがした。
日本人のセンスには無い大味な香りに若干の頭痛を覚えた。
よくよく見ると、香りだけでなく、すべてのものが大雑把なように思えた。
靴を脱ぎたいが、どこへ脱いで良いか分からぬ・・・。
とにかくその辺に靴を脱ぎ捨てシャワーを浴びた。
シャンプーもあまり嗅いだことの無い匂いのシャンプーだったし、リンスをしたらかえってゴワゴワした。
後日、日系の人にそのリンスのことを言ったら、金髪系の細い髪の人にはそのリンスが一番良くて、我々のような黒髪で太い毛質にはそのリンスは合わないそうな・・・。
逆に、我々の普段使うリンスを金髪系の人がやったら、サラサラせずゴワゴワしてしまうそうな・・。
シャワーを浴びてラジオを付けた。
色んなジャンルの番組があって驚いた。
その中にメタルばかり流している局を発見!
ホテルの小さいラジオなのに、コンプレッサーがガンガンかかってロックな音にしばし聞き入った。
ラジオを聴きながらウトウトしていると夢の中でIn the mirrorが流れている。
(あぁ~インザミラーやなぁ・・・)
夢うつつに聞いていて「はっ!」とした。
(えっ!!これっ、今ラジオで流れてるんか????ここアメリカやんな!!!)
僕は心の中で叫んだ!
眠気は吹っ飛びベッドから飛び出して、正座してラジオを聴いた。
アメリカ到着初日に、なんとLOUDNESSのインザミラーをフルコーラス、ラジオで聴いてしまったのだ!!
曲が終わり、DJが何やらまくし立ているのだが、さっぱり分からぬ。
唯一、曲名のIn the mirorrとLOUDNESSのバンド名をシャウトで連呼したのは聞き取れた。
(うわ~~~DJがなんか言うてはるけど、このDJよっぽどLOUDNESSのこと好きなんやな!)
僕はいよいよアメリカでライブをするんだ!と言うことを実感し、緊張感までも大波が押し寄せてくるように襲ってきたのだ。
マネージャーから食事代として1日20ドルの支給があった。
当時のレートーで20ドルは約5400円の価値があった。
これだけあれば充分だと思った。
ちなみに、1ドル270円の時代である。
夕方、メンバーと一緒にマクドナルドへ行った。
マクドナルドの値段表を見て愕然とした。
マクドナルドなど外食をしていては、20ドルでは1日の食費が足らない・・・
マクドナルドはやめて近所のスーパーで食パン1斤とハムとチーズ、オレンジジュースを買った。
これが1日の食事のすべてだった。
ビールを買ったりしたら、僕の場合即破産が見えていた。
酒は自分で買うのは諦めるしかなかった・・・。