LOUDNESS 多忙極める
LOUDNESSデビューアルバムリリースを境に、タッカンのソロアルバム、シングル”Burning Love”と立て続けにレコーディングをやり、一連のイヴェント等のライブ活動をやりながら、その合間を縫ってセカンドアルバムの曲作りに着手、目の廻るような忙しい毎日が始まった。
取材も増え紙媒体への露出も増えてきた。
1982年、3月にはセカンドアルバムのレコーディングに入ることになった。
某日、事務所でレコーディングの為のミーティングがあった。
「これ聞いてみて」
プロデューサーが数本のカセットテープをかけてくれた。
アメリカ人サウンドエンジニア候補のテープだった。
どのテープも素晴らしいロックの音だった。
当時、我々が漠然と思っていた欧米独特の太いロックサウンドがそこにあった。
「次のアルバムはエンジニアを外人でどうかな?」
プロデューサのこの一言でメンバー一同固唾を呑んだ。
(が、外国人・・・・・)
勝手に僕の頭の中で金髪の青い目のロックおじさんのイメージが渦巻いた。
外人なるものは、京都で観光に来ている人しか見たこともなかったし、当然、話なんてしたことも無かった。
(あぁ、そう言えば世界に通じるバンドにしたいって言っていたなぁ・・)
僕はタッカンと始めて会ったときのことを思い出した。
(こりゃ、ほんまにこのバンドは近いうちに世界へ羽ばたく日が来るのかも知れん)
海外レコーディングはもとより、外人エンジニアを起用するということも当時では珍しかった。
バンドの勢いが目に見えない力で世界へとどんどん引っ張られている感じがした。
確かに、このバンドの持つ輝きやパワーは海外でやってもおかしくないのかもしれないとも思った。
その当時、日本人のロックバンドが海外へ行ったという前例はあまり聞いたことが無かった。
唯一、海外で活動経験のあった日本のバンドと言うのは、ジョー山中さん率いるフラワートラベリングバンドと竹田和夫氏率いるクリエーションぐらいは噂話で聞いたことはあった。
ただ、その詳細は分からなかったし、そのようなニュースも知る人ぞ知る次元の話だった。
日本人がロックバンドで世界へ出ると言うのはまだまだ夢物語だったけれど、LOUDNESSのスタッフだけは違っていた。
本気で世界へ出る野望を持っていたのだ。
人には「思ったことが現実となる」という法則があるそうだ。
何事も思い描くことが無ければ実現などしないのだ。
そういう意味では、バンドもスタッフも海外で通用するロックバンドと言う思いは一緒だった。
さて、プロデューサーが聞かせてくれていたカセットは、すべてデモテープと言うことだったけれど、演奏しているバンドやシンガーが素晴らしかった。
どのバンドも聴いたことの無いバンドだったけれどアメリカの裾の広さを痛感した。
その中の一つのバンドのサウンドが一番ハードロックしていて、僕達はそのサウンドに注目した。
そのバンドはサンフランシスコのバンドで、”Atomic Tommy M”と言うギタープレイヤーが在籍していたバンドのテープだった。
「このギターええ音してんなぁ・・」
タッカンが呟いた。
「この人はダニー・マクレンドンさんだね。」
プロデューサーが教えてくれた。
「他に有名なアーティスト手がけてるの?」
タッカンが興味を示した。
「いや、資料には特に有名なバンドは見当たらないなぁ・・」
プロデューサーは答えた。
「この人の音がロックしてて気持ちええなぁ~」
このメンバーの一言で決まった。
デビューアルバムのミックスダウンでかなり苦労したので、外人エンジニアに胸が躍った。
「そやけど、英語喋らなあかんがな・・・どないすんねん?通訳おるんか?」
メンバー一同コミュニケーションが少し不安になった。
ミーティング後、我々は赤坂コロムビアスタジオへ移動して曲作りを始めた。
レコーディングが続き、曲作りを一手に引き受けていたタッカンが度々タッカン曰く知恵熱(!)で倒れた。
それでも、沢山の曲のアイデアが溢れて出てきていた。
ギターのリフのアイデアだけでも数本のテープに及んだ。
僕達は連日スタジオの中でセッションに明け暮れた。
デビューアルバムのセッションと同じく僕は気分の赴くまま雄叫び、ひぐっつあんのドラムが暴れまわり、マー君のベースがグイグイうねり、タッカンが超人になっていた。
それでも僕達は疲れることは無かった。
まだまだやりたいこと、表現したいことでバンドのパワーは溢れていた。
LOUDNESSは手のつけられない暴れ馬のようだった。
そんなセッションを繰り広げていたある夜、久しぶりにTレコードのNさんと食事をすることになった。
Nさんが車の中で思い出したように言った。
「あ!そう言えばアメリカから、なんやアメリカのバンドのデモテープが送られてきたぞ。デビュー前のバンドらしいけど、そのバンドが高崎にギター弾いて欲しいって・・・・。」
Nさんはそのテープをかけた。
聞いたことも無いバンドだった。
演奏もあまりうまくは無かった。
たしかにこのギターならタッカンの方が上手いと思った。
「どうや?高崎?」
Nさんが聞いた。
「ん・・・俺はLOUDNESSでやりたいわ!このバンドで世界目指すわ!!」
「そうか・・・・」
Nさんは納得した。
「バンド名なんて言うんや?」
マー君が聞いた。
そのデモテープのケースに汚い字でバンド名が書いてあった。
METALLICA
取材も増え紙媒体への露出も増えてきた。
1982年、3月にはセカンドアルバムのレコーディングに入ることになった。
某日、事務所でレコーディングの為のミーティングがあった。
「これ聞いてみて」
プロデューサーが数本のカセットテープをかけてくれた。
アメリカ人サウンドエンジニア候補のテープだった。
どのテープも素晴らしいロックの音だった。
当時、我々が漠然と思っていた欧米独特の太いロックサウンドがそこにあった。
「次のアルバムはエンジニアを外人でどうかな?」
プロデューサのこの一言でメンバー一同固唾を呑んだ。
(が、外国人・・・・・)
勝手に僕の頭の中で金髪の青い目のロックおじさんのイメージが渦巻いた。
外人なるものは、京都で観光に来ている人しか見たこともなかったし、当然、話なんてしたことも無かった。
(あぁ、そう言えば世界に通じるバンドにしたいって言っていたなぁ・・)
僕はタッカンと始めて会ったときのことを思い出した。
(こりゃ、ほんまにこのバンドは近いうちに世界へ羽ばたく日が来るのかも知れん)
海外レコーディングはもとより、外人エンジニアを起用するということも当時では珍しかった。
バンドの勢いが目に見えない力で世界へとどんどん引っ張られている感じがした。
確かに、このバンドの持つ輝きやパワーは海外でやってもおかしくないのかもしれないとも思った。
その当時、日本人のロックバンドが海外へ行ったという前例はあまり聞いたことが無かった。
唯一、海外で活動経験のあった日本のバンドと言うのは、ジョー山中さん率いるフラワートラベリングバンドと竹田和夫氏率いるクリエーションぐらいは噂話で聞いたことはあった。
ただ、その詳細は分からなかったし、そのようなニュースも知る人ぞ知る次元の話だった。
日本人がロックバンドで世界へ出ると言うのはまだまだ夢物語だったけれど、LOUDNESSのスタッフだけは違っていた。
本気で世界へ出る野望を持っていたのだ。
人には「思ったことが現実となる」という法則があるそうだ。
何事も思い描くことが無ければ実現などしないのだ。
そういう意味では、バンドもスタッフも海外で通用するロックバンドと言う思いは一緒だった。
さて、プロデューサーが聞かせてくれていたカセットは、すべてデモテープと言うことだったけれど、演奏しているバンドやシンガーが素晴らしかった。
どのバンドも聴いたことの無いバンドだったけれどアメリカの裾の広さを痛感した。
その中の一つのバンドのサウンドが一番ハードロックしていて、僕達はそのサウンドに注目した。
そのバンドはサンフランシスコのバンドで、”Atomic Tommy M”と言うギタープレイヤーが在籍していたバンドのテープだった。
「このギターええ音してんなぁ・・」
タッカンが呟いた。
「この人はダニー・マクレンドンさんだね。」
プロデューサーが教えてくれた。
「他に有名なアーティスト手がけてるの?」
タッカンが興味を示した。
「いや、資料には特に有名なバンドは見当たらないなぁ・・」
プロデューサーは答えた。
「この人の音がロックしてて気持ちええなぁ~」
このメンバーの一言で決まった。
デビューアルバムのミックスダウンでかなり苦労したので、外人エンジニアに胸が躍った。
「そやけど、英語喋らなあかんがな・・・どないすんねん?通訳おるんか?」
メンバー一同コミュニケーションが少し不安になった。
ミーティング後、我々は赤坂コロムビアスタジオへ移動して曲作りを始めた。
レコーディングが続き、曲作りを一手に引き受けていたタッカンが度々タッカン曰く知恵熱(!)で倒れた。
それでも、沢山の曲のアイデアが溢れて出てきていた。
ギターのリフのアイデアだけでも数本のテープに及んだ。
僕達は連日スタジオの中でセッションに明け暮れた。
デビューアルバムのセッションと同じく僕は気分の赴くまま雄叫び、ひぐっつあんのドラムが暴れまわり、マー君のベースがグイグイうねり、タッカンが超人になっていた。
それでも僕達は疲れることは無かった。
まだまだやりたいこと、表現したいことでバンドのパワーは溢れていた。
LOUDNESSは手のつけられない暴れ馬のようだった。
そんなセッションを繰り広げていたある夜、久しぶりにTレコードのNさんと食事をすることになった。
Nさんが車の中で思い出したように言った。
「あ!そう言えばアメリカから、なんやアメリカのバンドのデモテープが送られてきたぞ。デビュー前のバンドらしいけど、そのバンドが高崎にギター弾いて欲しいって・・・・。」
Nさんはそのテープをかけた。
聞いたことも無いバンドだった。
演奏もあまりうまくは無かった。
たしかにこのギターならタッカンの方が上手いと思った。
「どうや?高崎?」
Nさんが聞いた。
「ん・・・俺はLOUDNESSでやりたいわ!このバンドで世界目指すわ!!」
「そうか・・・・」
Nさんは納得した。
「バンド名なんて言うんや?」
マー君が聞いた。
そのデモテープのケースに汚い字でバンド名が書いてあった。
METALLICA
by loudness_ex
| 2008-07-31 08:19
