不眠不休
ご意見、ご感想、いつでも気軽にメール下さい。
vocalism.niihara@gmail.com
基本的に僕の方から個人への返事は期待しないで下さい。
よっぽど必要と思われる方へは当然しますけれど・・・。
これはと思うご意見、ご質問は、質問者は匿名の上、このブログ上でお答えさせてもらいます。
:::::::::::::::::::::::::::
チェストナットスタジオの録音期間中、僕は生まれて始めて音楽雑誌の取材を受けた。
確か、ヤングギターとPlayerの取材だったと思う。
ちょっとした撮影もした。
(うわ~~イ、インタビューや~~!!嘘みたいや~~!俺、ロックスターみたいや~~!)
アホである・・・。
今となっては何をどんな風に答えたのか覚えていない。
インタビュアーが丁寧にそして熱心に話を聞いてくるので、とても恐縮したのを覚えている。
恐らく、自己紹介的な話からどう言う経緯でこのバンドに参加したのか?と言うことだったと思う。
ひとしきりインタビューが終わり、録音中の曲を数曲インタビュアーに聴いてもらった。
インタビュアーも曲を聞くまでは「へぇ~どんな感じなの?」と笑いながら余裕の感じだったのが、曲が進むにつれて顔つきが変わり「こ、これは・・・す、凄い・・・・」とため息を漏らした。
タッカンが「格好ええやろぉ~?」と微笑んだ。
「こ、これは期待以上、本当に強烈です。こんな日本のバンド今まで聞いたことが無い、本当にこれは・・・」インタビュアーは言葉が見つからないほどに衝撃を受けているようだった。
「それにしても、LOUDNESSのコンサートが本当に楽しみですね!」とインタビュアーが言い放った。
(あぁ・・・そうかぁ・・・!!俺達コンサートもいつかはやるんやなぁ・・・!!)
僕はレコーディングで無我夢中になっていて、コンサートのことなどすっかり忘れていた。
(今やっている曲、コンサートでやったらどんなことになるんやろ・・・?)
僕は想像すら出来なかった。
(“LOUDNESS” “ROCK SHOCK” “I’M ON FIRE” “SEXY WOMAN””STREET WOMAN”をステージで、それも爆音で演奏したらさぞかし気持ちええやろなぁ・・・)
僕は想像しただけで身震いがして興奮した。
(お客さんはLOUDNESSのコンサートで盛り上がってくれるのだろうか?受け入れてくれるのだろうか?)
自分がLOUDNESSのステージで歌っている姿を想像しようとするのだけど・・・出来なかった。
(あかん・・ステージのLOUDNESS・・・・想像つかんわぁ・・・それにしても、LOUDNESSのコンサートってお客さんが入るのかな?皆盛り上がってくれるかな・・・?)
そんなことを考えていると心臓がバクバクして鼻血が出そうになった。
瞬く間にチェストナッツスタジオでのレコーディングは終わった。
正味1週間ほどだったと思う。
僕達は録音したてのテープを持って東京へ戻ってきた。
そして、東京の六本木にあるBeingが所有するバードマンスタジオで、レコーディングの追い込みをした。

バードマンスタジオは6畳ほどのダビング用スタジオと、12畳ほどのコンソールルームがあるだけの小さなスタジオだった。
そこではミックスダウンとオーヴァーダビングの仕上げ作業が待っていた。
ここで数曲ヴォーカルも録音をやり直しギターソロ等もこのスタジオで録音をした。
ミックスダウンの作業中はエンジニアとメンバーとディレクターとの言い争いの連続だった。
例えばベースギターの音を上げると、キックドラムが聞こえなくなる、だからキックドラムも同時に上げる、そうなると今度はギターの音が小さく聞こえるのでギターの音も上げる、そうすると今度はヴォーカルの音が小さく感じでヴォーカルも音を上げる、ヴォーカルが上がるとバッキング全体が小さく感じる・・・・この論争がループするのだ、ジレンマ地獄である。
メンバーのイメージする音と実際に出来上がる音がなかなか合致しないのだった。
1981年、日本人にはまだハードロックのサウンドをどう作ってよいのか分からない時代だった。
僕達はスコーピオンズやヴァンへーレンなどのレコードをスタジオに持ってきて、何度もレコードを流しながらどうしたら欧米のハードロックのサウンドが作れるのか必死で模索・研究するのだが、まったく雲を掴むような状態だった。
こうして、ミックスダウンは連日夜を寝ないでの作業となった。
5日ほどの徹夜作業でミックスダウンは終わった・・・。
最後の曲のミックスが終わったのは朝方だった。
僕達は曲順を適当に考えて、その通りに曲を繋げた。
意識が朦朧としながら、みんなで出来上がったばかりのデビューアルバムを1曲目から爆音でプレイバックした。
1曲目の”LOUDNESS”のイントロでメンバーの歓声があがった!
最後の”ROCK SHOCK”が終わった時、皆身動きもせず言葉が出なかった・・・・。
「お前らすげぇーなぁ・・・」やっとただ一人ディレクターがつぶやいた。
バードマンスタジオから自分のアパートに帰ってきたのはもうお昼過ぎだった。
体は疲れきっていたけれど頭は興奮していた。
僕は再びさっき出来あがったばかりのLOUDNESSデビューアルバムのテープをヘッドホーンをして爆音で聴いた。
何度も、何度も、何度も、聴いた。
死ぬほど嬉しかった。
(これを京都の彼女が聞いたらなんて言うかなぁ・・・コンサートも見せたいなぁ・・・)
僕は微笑みながらいつの間にか眠ってしまった・・・。
vocalism.niihara@gmail.com
基本的に僕の方から個人への返事は期待しないで下さい。
よっぽど必要と思われる方へは当然しますけれど・・・。
これはと思うご意見、ご質問は、質問者は匿名の上、このブログ上でお答えさせてもらいます。
:::::::::::::::::::::::::::
チェストナットスタジオの録音期間中、僕は生まれて始めて音楽雑誌の取材を受けた。
確か、ヤングギターとPlayerの取材だったと思う。
ちょっとした撮影もした。
(うわ~~イ、インタビューや~~!!嘘みたいや~~!俺、ロックスターみたいや~~!)
アホである・・・。
今となっては何をどんな風に答えたのか覚えていない。
インタビュアーが丁寧にそして熱心に話を聞いてくるので、とても恐縮したのを覚えている。
恐らく、自己紹介的な話からどう言う経緯でこのバンドに参加したのか?と言うことだったと思う。
ひとしきりインタビューが終わり、録音中の曲を数曲インタビュアーに聴いてもらった。
インタビュアーも曲を聞くまでは「へぇ~どんな感じなの?」と笑いながら余裕の感じだったのが、曲が進むにつれて顔つきが変わり「こ、これは・・・す、凄い・・・・」とため息を漏らした。
タッカンが「格好ええやろぉ~?」と微笑んだ。
「こ、これは期待以上、本当に強烈です。こんな日本のバンド今まで聞いたことが無い、本当にこれは・・・」インタビュアーは言葉が見つからないほどに衝撃を受けているようだった。
「それにしても、LOUDNESSのコンサートが本当に楽しみですね!」とインタビュアーが言い放った。
(あぁ・・・そうかぁ・・・!!俺達コンサートもいつかはやるんやなぁ・・・!!)
僕はレコーディングで無我夢中になっていて、コンサートのことなどすっかり忘れていた。
(今やっている曲、コンサートでやったらどんなことになるんやろ・・・?)
僕は想像すら出来なかった。
(“LOUDNESS” “ROCK SHOCK” “I’M ON FIRE” “SEXY WOMAN””STREET WOMAN”をステージで、それも爆音で演奏したらさぞかし気持ちええやろなぁ・・・)
僕は想像しただけで身震いがして興奮した。
(お客さんはLOUDNESSのコンサートで盛り上がってくれるのだろうか?受け入れてくれるのだろうか?)
自分がLOUDNESSのステージで歌っている姿を想像しようとするのだけど・・・出来なかった。
(あかん・・ステージのLOUDNESS・・・・想像つかんわぁ・・・それにしても、LOUDNESSのコンサートってお客さんが入るのかな?皆盛り上がってくれるかな・・・?)
そんなことを考えていると心臓がバクバクして鼻血が出そうになった。
瞬く間にチェストナッツスタジオでのレコーディングは終わった。
正味1週間ほどだったと思う。
僕達は録音したてのテープを持って東京へ戻ってきた。
そして、東京の六本木にあるBeingが所有するバードマンスタジオで、レコーディングの追い込みをした。

バードマンスタジオは6畳ほどのダビング用スタジオと、12畳ほどのコンソールルームがあるだけの小さなスタジオだった。
そこではミックスダウンとオーヴァーダビングの仕上げ作業が待っていた。
ここで数曲ヴォーカルも録音をやり直しギターソロ等もこのスタジオで録音をした。
ミックスダウンの作業中はエンジニアとメンバーとディレクターとの言い争いの連続だった。
例えばベースギターの音を上げると、キックドラムが聞こえなくなる、だからキックドラムも同時に上げる、そうなると今度はギターの音が小さく聞こえるのでギターの音も上げる、そうすると今度はヴォーカルの音が小さく感じでヴォーカルも音を上げる、ヴォーカルが上がるとバッキング全体が小さく感じる・・・・この論争がループするのだ、ジレンマ地獄である。
メンバーのイメージする音と実際に出来上がる音がなかなか合致しないのだった。
1981年、日本人にはまだハードロックのサウンドをどう作ってよいのか分からない時代だった。
僕達はスコーピオンズやヴァンへーレンなどのレコードをスタジオに持ってきて、何度もレコードを流しながらどうしたら欧米のハードロックのサウンドが作れるのか必死で模索・研究するのだが、まったく雲を掴むような状態だった。
こうして、ミックスダウンは連日夜を寝ないでの作業となった。
5日ほどの徹夜作業でミックスダウンは終わった・・・。
最後の曲のミックスが終わったのは朝方だった。
僕達は曲順を適当に考えて、その通りに曲を繋げた。
意識が朦朧としながら、みんなで出来上がったばかりのデビューアルバムを1曲目から爆音でプレイバックした。
1曲目の”LOUDNESS”のイントロでメンバーの歓声があがった!
最後の”ROCK SHOCK”が終わった時、皆身動きもせず言葉が出なかった・・・・。
「お前らすげぇーなぁ・・・」やっとただ一人ディレクターがつぶやいた。
バードマンスタジオから自分のアパートに帰ってきたのはもうお昼過ぎだった。
体は疲れきっていたけれど頭は興奮していた。
僕は再びさっき出来あがったばかりのLOUDNESSデビューアルバムのテープをヘッドホーンをして爆音で聴いた。
何度も、何度も、何度も、聴いた。
死ぬほど嬉しかった。
(これを京都の彼女が聞いたらなんて言うかなぁ・・・コンサートも見せたいなぁ・・・)
僕は微笑みながらいつの間にか眠ってしまった・・・。
by loudness_ex
| 2008-07-03 18:39
