1981年
いつも沢山のコメントありがとうございます。
若干ですがコメントのご質問にお答えしたいと思います。
マー君のソロアルバムに関してですが、マー君のソロレコーディングが始まる前にLOUDNESS担当ディレクターが別会社へ行ってしまい、そのまま引継ぎがうまく出来ずに立ち消え状態になっているのが現状です。
マー君からは色々アイデアを聞いていたし、僕も何曲か歌う予定でした。
僕もマー君のソロアルバムがとても楽しみなので、なんとか実現できればと思っていますが・・・。
コメント欄に関してご意見を頂戴しました。
今のところ個人的には皆さんのコメントに関して取り立てて問題があるとは思っておりません。
なにかご意見、ご要望がある方は具体的内容をメールして下さい。
vocalism.niihara@gmail.com
対処すべきコメントでしたら、しかるべき対処をさせてもらいます。
すでに数回、明らかに意味不明な宣伝コメントを削除しましたが、過激な発言であってもよほどの誹謗中傷や個人攻撃でない限りスルーします。
仮に、コメントで収拾がつかないような事態になった場合は、非公開コメントにするのではなく、この歴史物の話が途中であってもこのブログは終了するつもりです。
皆さん仲良くやって行きましょう!
よろしくお願いします。
*******************
「LOUDNESS」と言うバンド名を決めて、4人の気持ちはひとつになった。
とは言うものの、この時点ではあくまでも4人の中だけの話であって、LOUDNESSという名前のバンドが正式に世に誕生するにはクリアーすべき問題がいくつかあった。
そもそも、僕が上京した時に「高崎晃ソロアルバム」と言う方向性でどこかのレコード会社とレコード(アーティスト)契約の話が具体的にあったのかどうかは分からないけれど、少なくとも「LOUDNESS」を立ち上げた段階で、「LOUDNESS」と言う新人バンドと契約をしたいと言うレコード会社は存在していなかったと思う。
果たして、バンド「LOUDNESS」が欲しいと言ってくれるレコード会社が名乗り上げるのだろうか?
今でこそLOUDNESSという名前は、ある程度ロックミュージシャンやこの業界で市民権を得ている。
そして今でこそ、ハードロックやヘビーメタルと言うジャンルの音楽は常に一定の支持層があり、爆発的に売れないにしても、良いバンドであるならばCDを出せばある程度の数字が読めるジャンルではある。
しかしながら、我々4人がLOUDNESSと言うバンド名を決め「バンドをやろうぜ!」と立ち上がった頃、ハードロック・ヘビーメタルと言うジャンルの音楽は完璧に隅に追いやられて、むしろ全く見向きもされないような時代ではあった。
1981年、あの当時を振り返ると「長髪?今はもうそんなの流行んないよ~~・・」「はぁ?ハードロック??ツェッペリン?ディープパープル?あぁ昔の音楽ね・・・そんなのやったって商売になんないよ~~~」「ハードロック??今の若い子には絶対無理!絶対受けない!」と言った風潮で、本当に長髪ハードロッカーには肩身の狭い時代だった。
1981年、、ここ日本では確かにメインストリーム音楽はテクノミュージックであり、YMOなどが全盛期だった。

テクノミュージック・・・まさにハードロックとは正反対の音楽である。
そして、日本のテクノミュージックは欧米などでも影響を与えるほどの存在であったし、ここ日本ではちょっとした社会現象でもあった。
1981年、目を皿のようにして探しても、日本でプロとして活躍しているハードロックバンドは”BOW WOW”がかろうじて踏ん張っているような状況であった。
ハードロックが好き嫌いは別として、要するに、ハードロックを職業としてやろうと考える人も少なかったし、商売になると考える人もいなかった。
テクノミュージックとハードロック、この二つの音楽を仮に食事に例えるなら、ハードロックが「牛丼」だとしたら、テクノミュージックは「ビタミン剤」である。
テクノミュージックがコンピューターを駆使した近未来的な音楽だとしたら、ハードロックは肉体を駆使したプリミティブ音楽である。
僕達4人が始めようとしていた音楽は文字通り「時代に逆行した音楽」であった。
1981年当時のファッションを振り返っても、右を見ても左を見ても、耳のところで髪を一直線に短く切ったテクノカットが流行っていて、流行追いの若者はこぞって坂本龍一のようなファッションや髪型だった。
実はこんなことを書いているけれど、京都の珈琲ショップでタッカンに始めて会ったとき僕のヘアースタイルは「テクノカット」だったしその上「口ひげ」まで生やしていた。(笑)
タッカンが(随分とイメージと違うなぁ・・)と言うような表情をしたのにはこう言う理由があった。
普通ならば、これほど時代の流れとは違う音楽をやろうとすれば誰にも相手にされずそのまま消えていくのが世の常であっただろう。
しかし我々「LOUDNESS」の強運はここから始まっている。
1981年、日本中がテクノミュージックで沸き立っている時、実は世界的に影響を及ぼす新たな音楽のムーブメントの「怪物」が産声を上げていた。
まさに大きな変革と言う「波」がゆっくりとイギリスから押し寄せてきていたのだ・・・
その波とはNWOBHM( NEW WAVE OF BRITISH HEAVY METAL)である。

「・・・由来は「Sounds」誌で、ジェフ・バートンの書いた記事による。 1970年代後期のHR/HMは、パンク以降に登場したニュー・ウェーブを支持する人間が過去のロックを「オールド・ウェイヴ」と呼ぶ事に対しあえて "New Wave" 、ブリティッシュ・ロック低迷からの復権を願って "British" 、ハード・ロックを継承しながらも新しい時代を切り開く意味で"Heavy Metal"を合わせて名付けられた。 パンク、ニューウェーブが過去の音楽を否定する事を始まりとするのに対し、NWOBHMは伝統を継承するとの主張が込められている。」『フリー百科事典『ウィキペディアより引用』
要するに、イギリスでパンクやニューウエーブにやり場のないフラストレーションを抱えていた若者が反旗を翻して起こったムーブメントで、アイヤンメイデン、サクソン、モーターヘッド、デフレパードと言った連中がイギリスのアンダーグラウンドシーンで絶大な支持を受けた。
そしてここ日本では、その新たな「波」に敏感に反応していたのは極少数の音楽ジャーナリストだけだった。
日本のレコード会社の多くはこの「波」に関心を示すことも無く、ただ安全な「現在流行しているもの」を追い、その亜流を作り続けることに腐心しているようだった。
NWOBHMの新たな波が押し寄せる、そういう時代背景で「LOUDNESS」が産声を上げたのは「奇遇であり強運」であった。
勿論「運」だけではどうにも出来ないけれど、「運」も無ければどうにもならないのも現実だ。
「LOUDNESSをやろう」とした時、僕達には「こうやったら売れるだろう」と言うような所謂「計算」「打算」と言うものは頭に無かった。
ただ、「これが好きだ」「これがやりたい」と言うものに無心なっていただけである。
そこに「運」も見方してくれたのだ・・・。
「LOUDNESS」号が船出するには大人社会のシステムの扉をこじ開ける必要があった。
1981年、「ハードロックはねぇ・・」と言った冷めた反応を示す人は少なくなかった。
「高崎晃ソロ名義ならねぇ・・・」とあからさまにLAZYのふんどしを貸してくれと言わんばかりの訳知り顔が多かったのも事実であったと思う。
そんな人達にも、一度LOUDNESSのリハーサルテープを聴かせたら色めき立った。
「なんだ~このギターは!!」「なんじゃ~~この声は!!」「なんだ~~この曲は!!!」
それまで日本にいなかったニュータイプの超技巧派ハードロックギター、男性の絶叫型超ハイトーンロックヴォーカルは日本初だったと思う・・。
メタリックな楽曲も新鮮だった。
LOUDNESSはその当時デビューしていたどのロックバンドとも比較できないほどに強烈にハードでメタリックなサウンドを持ったバンドだった。
1981年、こうして平均年齢20歳のLOUDNESSはそのサウンドで日本の音楽業界に自分達の存在を明示したのである。
バンドの魅力は論ずるよりも音を聞かせた方が雄弁なのは当然である。
そして、早々に当時出来たばかりだった音楽プロダクション「Being」が乗り出した・・・・
若干ですがコメントのご質問にお答えしたいと思います。
マー君のソロアルバムに関してですが、マー君のソロレコーディングが始まる前にLOUDNESS担当ディレクターが別会社へ行ってしまい、そのまま引継ぎがうまく出来ずに立ち消え状態になっているのが現状です。
マー君からは色々アイデアを聞いていたし、僕も何曲か歌う予定でした。
僕もマー君のソロアルバムがとても楽しみなので、なんとか実現できればと思っていますが・・・。
コメント欄に関してご意見を頂戴しました。
今のところ個人的には皆さんのコメントに関して取り立てて問題があるとは思っておりません。
なにかご意見、ご要望がある方は具体的内容をメールして下さい。
vocalism.niihara@gmail.com
対処すべきコメントでしたら、しかるべき対処をさせてもらいます。
すでに数回、明らかに意味不明な宣伝コメントを削除しましたが、過激な発言であってもよほどの誹謗中傷や個人攻撃でない限りスルーします。
仮に、コメントで収拾がつかないような事態になった場合は、非公開コメントにするのではなく、この歴史物の話が途中であってもこのブログは終了するつもりです。
皆さん仲良くやって行きましょう!
よろしくお願いします。
*******************
「LOUDNESS」と言うバンド名を決めて、4人の気持ちはひとつになった。
とは言うものの、この時点ではあくまでも4人の中だけの話であって、LOUDNESSという名前のバンドが正式に世に誕生するにはクリアーすべき問題がいくつかあった。
そもそも、僕が上京した時に「高崎晃ソロアルバム」と言う方向性でどこかのレコード会社とレコード(アーティスト)契約の話が具体的にあったのかどうかは分からないけれど、少なくとも「LOUDNESS」を立ち上げた段階で、「LOUDNESS」と言う新人バンドと契約をしたいと言うレコード会社は存在していなかったと思う。
果たして、バンド「LOUDNESS」が欲しいと言ってくれるレコード会社が名乗り上げるのだろうか?
今でこそLOUDNESSという名前は、ある程度ロックミュージシャンやこの業界で市民権を得ている。
そして今でこそ、ハードロックやヘビーメタルと言うジャンルの音楽は常に一定の支持層があり、爆発的に売れないにしても、良いバンドであるならばCDを出せばある程度の数字が読めるジャンルではある。
しかしながら、我々4人がLOUDNESSと言うバンド名を決め「バンドをやろうぜ!」と立ち上がった頃、ハードロック・ヘビーメタルと言うジャンルの音楽は完璧に隅に追いやられて、むしろ全く見向きもされないような時代ではあった。
1981年、あの当時を振り返ると「長髪?今はもうそんなの流行んないよ~~・・」「はぁ?ハードロック??ツェッペリン?ディープパープル?あぁ昔の音楽ね・・・そんなのやったって商売になんないよ~~~」「ハードロック??今の若い子には絶対無理!絶対受けない!」と言った風潮で、本当に長髪ハードロッカーには肩身の狭い時代だった。
1981年、、ここ日本では確かにメインストリーム音楽はテクノミュージックであり、YMOなどが全盛期だった。

テクノミュージック・・・まさにハードロックとは正反対の音楽である。
そして、日本のテクノミュージックは欧米などでも影響を与えるほどの存在であったし、ここ日本ではちょっとした社会現象でもあった。
1981年、目を皿のようにして探しても、日本でプロとして活躍しているハードロックバンドは”BOW WOW”がかろうじて踏ん張っているような状況であった。
ハードロックが好き嫌いは別として、要するに、ハードロックを職業としてやろうと考える人も少なかったし、商売になると考える人もいなかった。
テクノミュージックとハードロック、この二つの音楽を仮に食事に例えるなら、ハードロックが「牛丼」だとしたら、テクノミュージックは「ビタミン剤」である。
テクノミュージックがコンピューターを駆使した近未来的な音楽だとしたら、ハードロックは肉体を駆使したプリミティブ音楽である。
僕達4人が始めようとしていた音楽は文字通り「時代に逆行した音楽」であった。
1981年当時のファッションを振り返っても、右を見ても左を見ても、耳のところで髪を一直線に短く切ったテクノカットが流行っていて、流行追いの若者はこぞって坂本龍一のようなファッションや髪型だった。
実はこんなことを書いているけれど、京都の珈琲ショップでタッカンに始めて会ったとき僕のヘアースタイルは「テクノカット」だったしその上「口ひげ」まで生やしていた。(笑)
タッカンが(随分とイメージと違うなぁ・・)と言うような表情をしたのにはこう言う理由があった。
普通ならば、これほど時代の流れとは違う音楽をやろうとすれば誰にも相手にされずそのまま消えていくのが世の常であっただろう。
しかし我々「LOUDNESS」の強運はここから始まっている。
1981年、日本中がテクノミュージックで沸き立っている時、実は世界的に影響を及ぼす新たな音楽のムーブメントの「怪物」が産声を上げていた。
まさに大きな変革と言う「波」がゆっくりとイギリスから押し寄せてきていたのだ・・・
その波とはNWOBHM( NEW WAVE OF BRITISH HEAVY METAL)である。

「・・・由来は「Sounds」誌で、ジェフ・バートンの書いた記事による。 1970年代後期のHR/HMは、パンク以降に登場したニュー・ウェーブを支持する人間が過去のロックを「オールド・ウェイヴ」と呼ぶ事に対しあえて "New Wave" 、ブリティッシュ・ロック低迷からの復権を願って "British" 、ハード・ロックを継承しながらも新しい時代を切り開く意味で"Heavy Metal"を合わせて名付けられた。 パンク、ニューウェーブが過去の音楽を否定する事を始まりとするのに対し、NWOBHMは伝統を継承するとの主張が込められている。」『フリー百科事典『ウィキペディアより引用』
要するに、イギリスでパンクやニューウエーブにやり場のないフラストレーションを抱えていた若者が反旗を翻して起こったムーブメントで、アイヤンメイデン、サクソン、モーターヘッド、デフレパードと言った連中がイギリスのアンダーグラウンドシーンで絶大な支持を受けた。
そしてここ日本では、その新たな「波」に敏感に反応していたのは極少数の音楽ジャーナリストだけだった。
日本のレコード会社の多くはこの「波」に関心を示すことも無く、ただ安全な「現在流行しているもの」を追い、その亜流を作り続けることに腐心しているようだった。
NWOBHMの新たな波が押し寄せる、そういう時代背景で「LOUDNESS」が産声を上げたのは「奇遇であり強運」であった。
勿論「運」だけではどうにも出来ないけれど、「運」も無ければどうにもならないのも現実だ。
「LOUDNESSをやろう」とした時、僕達には「こうやったら売れるだろう」と言うような所謂「計算」「打算」と言うものは頭に無かった。
ただ、「これが好きだ」「これがやりたい」と言うものに無心なっていただけである。
そこに「運」も見方してくれたのだ・・・。
「LOUDNESS」号が船出するには大人社会のシステムの扉をこじ開ける必要があった。
1981年、「ハードロックはねぇ・・」と言った冷めた反応を示す人は少なくなかった。
「高崎晃ソロ名義ならねぇ・・・」とあからさまにLAZYのふんどしを貸してくれと言わんばかりの訳知り顔が多かったのも事実であったと思う。
そんな人達にも、一度LOUDNESSのリハーサルテープを聴かせたら色めき立った。
「なんだ~このギターは!!」「なんじゃ~~この声は!!」「なんだ~~この曲は!!!」
それまで日本にいなかったニュータイプの超技巧派ハードロックギター、男性の絶叫型超ハイトーンロックヴォーカルは日本初だったと思う・・。
メタリックな楽曲も新鮮だった。
LOUDNESSはその当時デビューしていたどのロックバンドとも比較できないほどに強烈にハードでメタリックなサウンドを持ったバンドだった。
1981年、こうして平均年齢20歳のLOUDNESSはそのサウンドで日本の音楽業界に自分達の存在を明示したのである。
バンドの魅力は論ずるよりも音を聞かせた方が雄弁なのは当然である。
そして、早々に当時出来たばかりだった音楽プロダクション「Being」が乗り出した・・・・
by loudness_ex
| 2008-06-18 17:11
