LAZY
僕が上京してきた時、実はまだLAZYが活動中だった。
解散ツアー中でひぐっつあんやタッカン、ひろゆき君は忙しそうだった。
その合間を縫ってタッカンとひぐっつあん、ひろゆき君と幾度か高崎プロジェクトのミーティングを重ねた。
タッカンのマンションでミーティングをやって、夜は呑みに繰り出すと言う日々だった。
いよいよ、LAZYの解散コンサートの最終日が来た。

僕は招待されてそのLAZY解散コンサートを観に行った。
会場にはLAZYの産みの親でもあるかまやつヒロシさんがいた。
大阪のアマチュアバンドが出る音楽番組「ハロヤン」の審査員であったかまやつさんがLAZYを見初めて東京へ引っ張って来たのは有名な話である。
LAZYのデビューに至る秘話をひぐっつあんから聞いたけれど、これはこれで中々興味深い話であったけれど、ここでは割愛する。
LAZYのライブ中は始終耳をつんざく黄色い歓声で客席は揺れていた。
99%は女性ファンで会場は埋め尽くされ、まさにアイドルライブ一色であった。
客席からは紙テープが舞い踊り、ペンライトが光り輝き、会場全体の一体感に僕はある意味高揚した。

(ひゃ~~みんなアイドルスターやん・・・・)
ミッシェルこと景山君は西條ヒデキに見えた。
僕はそれまでテレビ以外でアイドルの歌っているのを観たことが無かったけれど、ミッシェルの笑顔、歌い方、踊り、衣装、おしゃべり・・・etcが絵に描いたようなアイドルパフォーマンスでプロの底力を感じた。
一方、ひぐっつあんとタッカンはミッシェルやファニー、ポッキーとは完璧に違ったロックミュージシャンのオーラを発していた。
ひぐっつあんは完璧にコージーパウエルを彷彿させるパフォーマンスだったし、タッカンのギターはもはやLAZYが繰り広げるライブとは別の世界の空気を作っていた。
そして、目を見張る超絶プレーを黙々と繰り広げており、果たしてこの中のファンの人達にその凄さが理解されているのかどうかと考えてしまった。
僕はLAZYとは縁もゆかりも無い第三者の目でライブを観ていたけれど、たっかんやひぐっつあんの気持ちが手に取るように分かった。
この人達は本当に心からロックがしたいのだなと・・・。
ロックミュージシャンでありたい、俺たちは本物のロッカーなんだと言う魂の叫びが音として主張していたのだ。
自分達のやりたい音楽と実際繰り広げられている現実の音楽との乖離。
このフラストレーションが逆に物凄いパワーとなってLAZYの解散コンサートを他で類を見ないほどのロック魂に満ちたアイドル&ロックコンサートへと昇華させたのではないだろうか?
僕はLAZYのライブを観て感動したのだ。
この音楽に対するひたむきな若者達の姿に心打たれた。
(こんな凄い人達がアイドルでいるのは勿体ない!絶対にロックミュージシャンの世界で注目され正当評価されるべき人達や・・・)
ひぐっつあんとタッカンの凄まじいハードロックミュージシャンとしてのポテンシャルに圧倒された。
そして、僕がこの人達と一緒にこれから新たな音楽を作ることに身が引き締まる思いだった。
それにしても、この日のタッカンの泣きのギターインスト曲はゲイリームーアが乗り移ったのではないかと思うほどに凄まじかった・・・。
なんと言っても「宇宙船地球号」からの曲はすべて完璧なハード&メタルライブへと変身させた。

それまで日本のハードロックバンドを観てきたけれど、この日のLAZYのハード&メタル度は群を抜いていた。
LAZYはこの時点で既に実力的には日本のハードロックバンドの中でトップクラスであったのは明らかだった。
LAZYの解散ライブは大成功のうちに終わった。
ステージのセットや照明、音響、バンド、演奏、何もかもがプロの仕事であった。
(ひぐっつあん以外全員僕より年下なのに凄いなぁ・・・「8時だよ全員集合」のコントはなんやってん・・)
このバンドは既に色んな苦労を経験してきたのだなと感慨深くなった。
ライブ後僕は楽屋へ行った。
ひぐっつあんはライブ後即効で着替え、「さぁ~飲みに行くぞ~~」と言って僕達を引き連れてあっという間に楽屋から消えた。
(えっ?今解散コンサートが終わったばかりで・・そんなに急いで会場出なくても・・・そんなにあっさりでええの??メンバーと抱き合ったりとか・・・せんでええの??)
僕は少し意外な気がしてけれど、LAZYのバンドの状況をすぐに察することができた。
解散コンサートが終わって数日後、再びタッカンの部屋へ集合した。
「あんなぁ・・曲が結構出来てんねん!!ちょっと聞いてやぁ!」
カセットテープに録音された断片的なリフのアイデアを披露してくれた。
後に、そのアイデアの殆どがでLOUDNESSデビューアルバムの楽曲へと発展して行った。
まさに、アイデアが洪水の如く溢れているという感じだった。
早くスタジオに入って曲作りを始めたいと言うのが手に取るように分かった。
とは言うものの、僕が東京へ来て以来、ひろゆき君の表情があまり乗り気でない感じが気になってはいた。
数回ひろゆき君と二人っきりで話をしたり彼がやりたい音楽を聞かせてもらったりしていたのだけれど、明らかに彼のやりたい音楽とタッカンとひぐっつあんの目指すものの方向性は違っていた。
僕は内心大丈夫なのかと言う危惧の念を抱いていたのだけれど、意外と早くにその危惧が現実のものとなった。
「僕には他にやりたい音楽があるねん・・」
ひろゆき君がこう切り出すのに時間はかからなかった。
タッカンもひぐっつあんも既にそれを感じ取っていたようだった。
「わかった・・・ひろゆき、お前のやりたいことをやった方が良いで・・・」
ひぐっつあんの決断は早かった。
そして、ベースプレイヤーがいなくなった・・・・
解散ツアー中でひぐっつあんやタッカン、ひろゆき君は忙しそうだった。
その合間を縫ってタッカンとひぐっつあん、ひろゆき君と幾度か高崎プロジェクトのミーティングを重ねた。
タッカンのマンションでミーティングをやって、夜は呑みに繰り出すと言う日々だった。
いよいよ、LAZYの解散コンサートの最終日が来た。

僕は招待されてそのLAZY解散コンサートを観に行った。
会場にはLAZYの産みの親でもあるかまやつヒロシさんがいた。
大阪のアマチュアバンドが出る音楽番組「ハロヤン」の審査員であったかまやつさんがLAZYを見初めて東京へ引っ張って来たのは有名な話である。
LAZYのデビューに至る秘話をひぐっつあんから聞いたけれど、これはこれで中々興味深い話であったけれど、ここでは割愛する。
LAZYのライブ中は始終耳をつんざく黄色い歓声で客席は揺れていた。
99%は女性ファンで会場は埋め尽くされ、まさにアイドルライブ一色であった。
客席からは紙テープが舞い踊り、ペンライトが光り輝き、会場全体の一体感に僕はある意味高揚した。

(ひゃ~~みんなアイドルスターやん・・・・)
ミッシェルこと景山君は西條ヒデキに見えた。
僕はそれまでテレビ以外でアイドルの歌っているのを観たことが無かったけれど、ミッシェルの笑顔、歌い方、踊り、衣装、おしゃべり・・・etcが絵に描いたようなアイドルパフォーマンスでプロの底力を感じた。
一方、ひぐっつあんとタッカンはミッシェルやファニー、ポッキーとは完璧に違ったロックミュージシャンのオーラを発していた。
ひぐっつあんは完璧にコージーパウエルを彷彿させるパフォーマンスだったし、タッカンのギターはもはやLAZYが繰り広げるライブとは別の世界の空気を作っていた。
そして、目を見張る超絶プレーを黙々と繰り広げており、果たしてこの中のファンの人達にその凄さが理解されているのかどうかと考えてしまった。
僕はLAZYとは縁もゆかりも無い第三者の目でライブを観ていたけれど、たっかんやひぐっつあんの気持ちが手に取るように分かった。
この人達は本当に心からロックがしたいのだなと・・・。
ロックミュージシャンでありたい、俺たちは本物のロッカーなんだと言う魂の叫びが音として主張していたのだ。
自分達のやりたい音楽と実際繰り広げられている現実の音楽との乖離。
このフラストレーションが逆に物凄いパワーとなってLAZYの解散コンサートを他で類を見ないほどのロック魂に満ちたアイドル&ロックコンサートへと昇華させたのではないだろうか?
僕はLAZYのライブを観て感動したのだ。
この音楽に対するひたむきな若者達の姿に心打たれた。
(こんな凄い人達がアイドルでいるのは勿体ない!絶対にロックミュージシャンの世界で注目され正当評価されるべき人達や・・・)
ひぐっつあんとタッカンの凄まじいハードロックミュージシャンとしてのポテンシャルに圧倒された。
そして、僕がこの人達と一緒にこれから新たな音楽を作ることに身が引き締まる思いだった。
それにしても、この日のタッカンの泣きのギターインスト曲はゲイリームーアが乗り移ったのではないかと思うほどに凄まじかった・・・。
なんと言っても「宇宙船地球号」からの曲はすべて完璧なハード&メタルライブへと変身させた。

それまで日本のハードロックバンドを観てきたけれど、この日のLAZYのハード&メタル度は群を抜いていた。
LAZYはこの時点で既に実力的には日本のハードロックバンドの中でトップクラスであったのは明らかだった。
LAZYの解散ライブは大成功のうちに終わった。
ステージのセットや照明、音響、バンド、演奏、何もかもがプロの仕事であった。
(ひぐっつあん以外全員僕より年下なのに凄いなぁ・・・「8時だよ全員集合」のコントはなんやってん・・)
このバンドは既に色んな苦労を経験してきたのだなと感慨深くなった。
ライブ後僕は楽屋へ行った。
ひぐっつあんはライブ後即効で着替え、「さぁ~飲みに行くぞ~~」と言って僕達を引き連れてあっという間に楽屋から消えた。
(えっ?今解散コンサートが終わったばかりで・・そんなに急いで会場出なくても・・・そんなにあっさりでええの??メンバーと抱き合ったりとか・・・せんでええの??)
僕は少し意外な気がしてけれど、LAZYのバンドの状況をすぐに察することができた。
解散コンサートが終わって数日後、再びタッカンの部屋へ集合した。
「あんなぁ・・曲が結構出来てんねん!!ちょっと聞いてやぁ!」
カセットテープに録音された断片的なリフのアイデアを披露してくれた。
後に、そのアイデアの殆どがでLOUDNESSデビューアルバムの楽曲へと発展して行った。
まさに、アイデアが洪水の如く溢れているという感じだった。
早くスタジオに入って曲作りを始めたいと言うのが手に取るように分かった。
とは言うものの、僕が東京へ来て以来、ひろゆき君の表情があまり乗り気でない感じが気になってはいた。
数回ひろゆき君と二人っきりで話をしたり彼がやりたい音楽を聞かせてもらったりしていたのだけれど、明らかに彼のやりたい音楽とタッカンとひぐっつあんの目指すものの方向性は違っていた。
僕は内心大丈夫なのかと言う危惧の念を抱いていたのだけれど、意外と早くにその危惧が現実のものとなった。
「僕には他にやりたい音楽があるねん・・」
ひろゆき君がこう切り出すのに時間はかからなかった。
タッカンもひぐっつあんも既にそれを感じ取っていたようだった。
「わかった・・・ひろゆき、お前のやりたいことをやった方が良いで・・・」
ひぐっつあんの決断は早かった。
そして、ベースプレイヤーがいなくなった・・・・
by loudness_ex
| 2008-06-15 11:19
