昨年このブログの話がマネージャーからあった時、自分の毎日の出来事を披露するなんてゴメンだと思い、苦肉の策で『歴史物』を思いついたのですが、実は『歴史物』を書き始めて後悔しました。
と言うのも、昔のことを思い出して書き始めると止まらなくなり、毎回物凄い字数になってしまい時間にして2~3時間があっという間に過ぎてしまうことが分かったので・・・。
でも、毎回話が進むに連れアクセス数が爆発的に伸びて行き、なにより皆さんの激励のメールも沢山頂き、これは頑張って続けるべきだと思って今日まで来ました。
まさか、LOUDNESSのオーディションまでに3ヶ月もかかるとは思いませんでしたけどね。(笑)
当然今後の話としては大雑把に言って、京都より上京→デビュー→初全国ツアー→日本で人気爆発→初海外公演→初海外レコーディング→欧州ツアー→アメリカのアトランティックレコードと世界レコード契約→世界デビュー→ワールドツアー→アメリカ人気沸騰→マディソンスクエアーガーデン→欧州ツアー→バンド解雇→ソロ→デッドチャップリン→SLY→X.Y.Z.-A→LOUDNESS再結成→二足のわらじ→・・・今日・・・となります。
ん~これは長~~い物語になりそうですなぁ・・・。
僕の四半世紀の人生、激動とはいわないまでもそこそこ波乱ですなぁ~。
まぁーバンドの話だけでも結構濃い話が出来ますが、この中に僕の恋愛物語なども混ぜると凄まじいことになりますぞ!(笑)
まぁー恋愛話をするにしてもあまりに個人的なことなので最小限のことしか触れませんけどね。
正直な話、「やった~LOUDNESSでデビュー!パチパチ!」でハッピーエンドとして終わるのも良いかなぁーと思っていますけど・・。
それと、デビュー以降の話しは僕より熱烈なファンの皆さんのほうが詳しいと思いますし、記憶違いを書くと思いっきり突っ込まれそうだし・・・。
皆さんどう思います?『歴史物』デビュー以降も続けた方がいいですか?
ず~っと『歴史物』続けて書いて『歴史物』を書いている『現在』にまでたどり着きこの話がやっと終わる・・・それはそれで感動的かもしれませんね~♪
「二井原、書きたきゃ勝手に書け、あれば読んでやるのもやぶさかではないぞ~」ですよねやっぱ・・・。(笑)
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人生初のオーディションが終わった。
セッションが終わったらそのまま近所の焼き鳥屋「大吉」へ連行された・・(笑)
ひぐっつあんのこの辺のノリは当時からずっと変わらないけどね!
店にはLAZYのメンバーとメンバーの友人達が数人集まっていた。
僕はオーディションで必死だったので、オーディションのスタジオにどんな人が来ていたのかもその時まで知らなかった。
その中に頭がクリクリのカーリーヘアーの熊のぬいぐるみのような愛くるしいロック青年がいた。
その青年、高崎君に僕のアースシェイカーのライブテープを送って僕を強烈に推薦してくれた人だった。
その人こそ、マー君こと山下昌良氏だった、そしてその時がマー君との初対面だった。
で、マー君がLOUDNESSに加入するにはまだ少し後になるのだけれどね。
焼き鳥屋の生ビールで取りあえず盛大に乾杯をして雑談が始まり、その時にそれぞれのニックネームを知った。
樋口さんは「ひぐっつあん」、高崎君は「タッカン」、田中君は「ひろゆき」と呼び捨てだった。
スタジオでの初対面の印象とは正反対で、焼き鳥屋でのひぐっつあんはとても人懐っこくて饒舌で陽気な人だった。
ビールの飲み方も豪快だった。
「早く東京に出て来い!」と言うひぐっつあんの笑顔がひときわ素敵だった。
タッカンは初めて会った時からの印象とそれ程変わらなかった。
兎にも角にも僕はどうやら合格したようだった。
とは言うものの具体的にどうすれば良いのか分からなかった。
『東京』へ出て行ってどんな暮らしになるのかも分からなかったけれど不安は皆無だった。
当時僕は大学3年の終わりの時期であり、僕の周りは卒論のことや就職活動のことが話題になり始めていた。
僕はと言うと卒業の単位が全く足りず、4年で卒業は不可能と決定していた。
一応「教職課程」を履修はしていたけれど、教育実習に行かず「教員」と言う夢はそのまま霧散してしまった。
ミュージシャンにならずに学校をやり直すのか、このチャンスを掴むのか・・・。
普通なら大変悩むところだろうけど、僕には何の悩みも無かった・・・
心のどこかで「歌うこと」が僕の仕事だと思っていた。
歌う音楽はなんでも良かった、ロックでも、ソウルでも、なんでも・・・
「僕の声が生かされる」「僕の声が必要とされる」と言うことがすべてだった。
この世に「天職」なるものがあるとするならば僕にとっては「声を使うこと」が「天職」だったのだろう。
「歌って生きなさい」と僕の中の偉大な存在が僕を導いているようだった。
高校生のころから、好きなことをがむしゃらにやって来た、無心にやってきた結果「天職」となったのか?
僕は20歳で『天職』を見つけることが出来た・・・
11月(頃だったと思う)のオーディションの後、一応メンバーからは「来年の春、4月頃には東京へ来て欲しい」と言われていた。
僕は身辺整理を始めた。
学校へ休学届けを出した。
茶々丸に「東京行くねん」と報告した。
「嘘やん!」とびっくりしていた。
SOUL-DOO-OUTのリーダーだった「大の伸」に東京へ行くことを告げた。
この話を聞いた「大の伸」は「SOUL-DOO-OUTどーすんねん!」とはじめは動揺していた様子だったけれど、「これもお前にとってはチャンスやな、絶対がんばれよ!」と言ってくれた。
そしてSOUL-DOO-OUTのメンバーで「送別会」を開いてくれた、嬉しかった。
しこたま呑んだ・・みんなで派手に乾杯をしてくれた。
オーディション以来ガールフレンドは毎日泣いていた。
彼女の気持ちは痛いほど分かった。
僕も辛かった。
一緒に連れて行くべきかどうか・・僕は心を痛めた。
とは言うものの、東京で生活の保障は何も無かった。
「東京へ行く」と言うこと以外なにも確たるものは無かった。
「卒業したら私も東京行っていい?」
泣きつかれて搾り出す声が愛おしかった。
京都の冷たい雪が一緒に泣いているような気がした。
彼女の大好きなおぼろ月が遠くに消え入りそうだった。
僕は涙が溢れた。
そして僕は「さよなら」と言えなかった・・・