野獣!工藤現る!!EARTH SHAKER 第二期♪
LOUDNESS豆知識
ひぐっつあんはゴルフがプロ並みにうまいのは有名だ。
以前、将棋も強いと話したけれど。
マー君はサッカーが凄かったし、今では釣り師としても有名だ。
僕は剣道を幼少からやっていたから多少腕に覚えはある。
さて、たっかんだ、たっかんはとても起用で何をやってもそつなくこなす。
ひぐっつあんほど極めるほどに夢中にはならないけれど、ゴルフでもかなり練習熱心だ。
僕が一番記憶にあるのは卓球、誰も勝てなかった。
たっかんの卓球これ最強。
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アースシェイカーのDrだったわったんが留学することになった。
ハワイにある大学だった。
わったんはアースシェイカーでドラムを叩きながら留学の勉強に励んでいた。
よく考えてみると、アメリカの大学へ留学するほどである、きっとTOEFL試験も受けていただろう。
その頃、英語がまったく頓珍漢だった僕の1000倍以上の英語の知識はあったはずだよなぁ・・・。
なのにわったん、僕が英語の歌詞を作るのに大変苦労していたのに、あんた何にも手伝ってくへんかったんやな、うんちプリプリ!!(笑)
「大学受かってん」
ずっと念願だった留学だ、わったんは嬉しそうだった。
同時にアースシェイカーももっと続けたそうだった。
わったんの人生の岐路でありわったんの選択だった、僕たちは喜んで彼の背中を押した。
わったんは留学の旅立ちの日まで精一杯真剣にドラムを叩いた。
真剣にやればやるほどわったんのドラムはどんどん上手くなった。
わったんの脱退はアースシェイカーの戦力的に非常に痛手だったのも事実だ。
わったん留学後、ハワイから幾度か手紙と写真をくれた。
ハワイの海岸をバックにスポーツカーに乗って笑顔の写真だった。
わったんは幸せそうだった。
アースシェイカーにドラムがいなくなった。
初めてのメンバーチェンジである。
僕には次のドラマーのめぼしは無かった。
シャラの行っている大学の音楽仲間から良いドラマーがいると教えてくれた。
「ニーちゃん、ええドラマーおるらしいで、そいつのライブ見に行こうや!」
後日、シャラと一緒にそのドラマーがやるライブを奈良まで見に行った。
彼は奈良の人だった。
コンサートはアマチュアバンドのコンサートだったけど会場は公民館のような立派な会場だった。
会場に入ってまず目に飛び込んだのがツーバスのピンクの巨大なドラムセットだった。
(げっ!!は、派手な太鼓やなぁ・・・ピンク・・・それもパールピンク、噂の彼のドラムかな?)
彼のバンドのライブが始まった、ドラムはやはり彼のドラムだった。
まさに、まさに彼はコージーパウエルだった。
ドラムの叩き方、風貌、髪型、どれをとってもこれ程コージーパウエルに徹したドラマーは見たことが無かった。
そして、出てくるドラムの音が凄まじいパワーだった。
ライブはレインボーを中心に(だったと思う)やっていたけれど、ほぼ彼の独り舞台だった。
他のメンバーも見るのだが気がついたらドラマーに目が行ってしまう。
それほど存在感があった。
彼をよく見ると全身鋼のような筋肉が隆々としていた。
そのガチガチの筋肉隆々の2本の腕が振り下ろすスティックもありえないほどの太さだった。
スティックと言うよりまさにそれはゴマをするすり棒だった。
(野獣だ、野獣がドラムを叩いている・・・)
彼のその存在感に僕は一瞬で声を失った。
なにより素敵だったのは、ドラムを叩きながらその野獣が時折見せる笑顔だった。
ロックを全身で楽しんでいる。
輝いていた、すばらしい華のあるドラマーだと思った。
(この人がアースシェイカーに入ってくれたらなぁ・・・無敵やな・・・)
僕はそう思った。
シャラはすでに彼のことを知っているようだった。
「凄いやろこいつ!」シャラが言った。
「こいつのこと知ってんのか?」
「おぉ、工藤っちゅうねん」
「工藤・・・」
「アースシェイカーで叩いてくれるんか?」
「おぉ、分からんけど話して見ようや」
シャラはもうすでにこの工藤なるドラマーが叩いているアースシェイカーをシュミレイトしているようだった。
後日、僕とシャラは奈良の工藤の実家にいた。
どういう経緯だったのか今の僕には残念ながら記憶に無いのだが、シャラの説得が功を奏したのか、工藤はアースシェイカーでドラムを叩くことになった。
わったんの家から今度は工藤の家が当面のバンドのミーティング場所になった。
練習も奈良の王寺にある工藤の知り合いの貸しスタジオでやることになった。
工藤の家で新曲のネタを練り、次の日に奈良の王寺スタジオで仕上げた。
この王寺スタジオは完全に個人が趣味でやっているようなスタジオだった。
スタジオのお兄さんがとても協力的で色々バンドにアドヴァイスをくれ、アースシェイカーの初めての本格的レコーディングをしたデモテープを録音してくれた。
ちなみに、そのお兄さん、後にHuman soulと言うソウルバンドでデビューした関西のフィリップ・ベイリーことシルキー藤野氏である。世の中狭い。
それにしても当時の工藤の食欲である。
夜中に「腹が減った」と言ってむっくり起き上がり、いきなりラーメンを2人前作りそれをペロっと平らげ、余ったラーメンの汁に今度はどんぶり2杯強のごはんをぶち込みそこに卵を2個ぶっかけてかき混ぜて胃袋に放り込んだ。
それでやっと少し落ち着いた・・・・である。
その光景を見たシャラと僕は胸焼けを起こし「オエ~~~」となったものだ。(笑)
野獣の工藤が加入したアースシェイカーが雄叫びを上げた!!
メッセージで指摘があったように、もしかしたら王寺ではなくて法隆寺だったかもしれませんなぁ・・
ひぐっつあんはゴルフがプロ並みにうまいのは有名だ。
以前、将棋も強いと話したけれど。
マー君はサッカーが凄かったし、今では釣り師としても有名だ。
僕は剣道を幼少からやっていたから多少腕に覚えはある。
さて、たっかんだ、たっかんはとても起用で何をやってもそつなくこなす。
ひぐっつあんほど極めるほどに夢中にはならないけれど、ゴルフでもかなり練習熱心だ。
僕が一番記憶にあるのは卓球、誰も勝てなかった。
たっかんの卓球これ最強。
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アースシェイカーのDrだったわったんが留学することになった。
ハワイにある大学だった。
わったんはアースシェイカーでドラムを叩きながら留学の勉強に励んでいた。
よく考えてみると、アメリカの大学へ留学するほどである、きっとTOEFL試験も受けていただろう。
その頃、英語がまったく頓珍漢だった僕の1000倍以上の英語の知識はあったはずだよなぁ・・・。
なのにわったん、僕が英語の歌詞を作るのに大変苦労していたのに、あんた何にも手伝ってくへんかったんやな、うんちプリプリ!!(笑)
「大学受かってん」
ずっと念願だった留学だ、わったんは嬉しそうだった。
同時にアースシェイカーももっと続けたそうだった。
わったんの人生の岐路でありわったんの選択だった、僕たちは喜んで彼の背中を押した。
わったんは留学の旅立ちの日まで精一杯真剣にドラムを叩いた。
真剣にやればやるほどわったんのドラムはどんどん上手くなった。
わったんの脱退はアースシェイカーの戦力的に非常に痛手だったのも事実だ。
わったん留学後、ハワイから幾度か手紙と写真をくれた。
ハワイの海岸をバックにスポーツカーに乗って笑顔の写真だった。
わったんは幸せそうだった。
アースシェイカーにドラムがいなくなった。
初めてのメンバーチェンジである。
僕には次のドラマーのめぼしは無かった。
シャラの行っている大学の音楽仲間から良いドラマーがいると教えてくれた。
「ニーちゃん、ええドラマーおるらしいで、そいつのライブ見に行こうや!」
後日、シャラと一緒にそのドラマーがやるライブを奈良まで見に行った。
彼は奈良の人だった。
コンサートはアマチュアバンドのコンサートだったけど会場は公民館のような立派な会場だった。
会場に入ってまず目に飛び込んだのがツーバスのピンクの巨大なドラムセットだった。
(げっ!!は、派手な太鼓やなぁ・・・ピンク・・・それもパールピンク、噂の彼のドラムかな?)
彼のバンドのライブが始まった、ドラムはやはり彼のドラムだった。
まさに、まさに彼はコージーパウエルだった。
ドラムの叩き方、風貌、髪型、どれをとってもこれ程コージーパウエルに徹したドラマーは見たことが無かった。
そして、出てくるドラムの音が凄まじいパワーだった。
ライブはレインボーを中心に(だったと思う)やっていたけれど、ほぼ彼の独り舞台だった。
他のメンバーも見るのだが気がついたらドラマーに目が行ってしまう。
それほど存在感があった。
彼をよく見ると全身鋼のような筋肉が隆々としていた。
そのガチガチの筋肉隆々の2本の腕が振り下ろすスティックもありえないほどの太さだった。
スティックと言うよりまさにそれはゴマをするすり棒だった。
(野獣だ、野獣がドラムを叩いている・・・)
彼のその存在感に僕は一瞬で声を失った。
なにより素敵だったのは、ドラムを叩きながらその野獣が時折見せる笑顔だった。
ロックを全身で楽しんでいる。
輝いていた、すばらしい華のあるドラマーだと思った。
(この人がアースシェイカーに入ってくれたらなぁ・・・無敵やな・・・)
僕はそう思った。
シャラはすでに彼のことを知っているようだった。
「凄いやろこいつ!」シャラが言った。
「こいつのこと知ってんのか?」
「おぉ、工藤っちゅうねん」
「工藤・・・」
「アースシェイカーで叩いてくれるんか?」
「おぉ、分からんけど話して見ようや」
シャラはもうすでにこの工藤なるドラマーが叩いているアースシェイカーをシュミレイトしているようだった。
後日、僕とシャラは奈良の工藤の実家にいた。
どういう経緯だったのか今の僕には残念ながら記憶に無いのだが、シャラの説得が功を奏したのか、工藤はアースシェイカーでドラムを叩くことになった。
わったんの家から今度は工藤の家が当面のバンドのミーティング場所になった。
練習も奈良の王寺にある工藤の知り合いの貸しスタジオでやることになった。
工藤の家で新曲のネタを練り、次の日に奈良の王寺スタジオで仕上げた。
この王寺スタジオは完全に個人が趣味でやっているようなスタジオだった。
スタジオのお兄さんがとても協力的で色々バンドにアドヴァイスをくれ、アースシェイカーの初めての本格的レコーディングをしたデモテープを録音してくれた。
ちなみに、そのお兄さん、後にHuman soulと言うソウルバンドでデビューした関西のフィリップ・ベイリーことシルキー藤野氏である。世の中狭い。
それにしても当時の工藤の食欲である。
夜中に「腹が減った」と言ってむっくり起き上がり、いきなりラーメンを2人前作りそれをペロっと平らげ、余ったラーメンの汁に今度はどんぶり2杯強のごはんをぶち込みそこに卵を2個ぶっかけてかき混ぜて胃袋に放り込んだ。
それでやっと少し落ち着いた・・・・である。
その光景を見たシャラと僕は胸焼けを起こし「オエ~~~」となったものだ。(笑)
野獣の工藤が加入したアースシェイカーが雄叫びを上げた!!
メッセージで指摘があったように、もしかしたら王寺ではなくて法隆寺だったかもしれませんなぁ・・
by loudness_ex
| 2008-05-03 10:00