茶々丸、そして軽音クラブ
LOUDNESS豆日記&情報
僕はLOUDNESSに入るまで飛行機に乗ったことが無かった。
初めて飛行機に乗ったとき、タッカンに真顔で「飛行機乗る時な、靴脱ぎや」とアドヴァイスされた。
機内土足厳禁とは知らなかった。
その言葉を信じ切っていた僕は飛行機の入り口で靴を脱ごうとすると、あわててスチュワーデス(当時の呼び方)のおねーさんが「あ、お靴はそのままで!!」
----------------------------------------------------------
僕はベースのソフトケースを肩にかけバスから降りた。
京都千本北大路バス停から大学の校門まで新入生で溢れかえっていた。
みんな嬉しそうで楽しそうだった。
僕はオリエンテーション以来、授業にあまり出席をしていなかった。
既に履修科目すら何をとったのか怪しかった。
その日、僕は校門を入り授業には出ず、そのまま「軽音学部室」へ直行した。
午前中と言うこともあってか部室には新入生しかいなかった。
部室内を見渡すとジェフベックにそっくりの「茶々丸」もそこにいた。
茶々丸も自分のギターを持ってきているようだった。
「まいど、自分(あなた)新入生やったんやな~、自分こないだ先輩とやっとったやろ?(セッションしていただろう?)」
僕は少し改まった感じで聞いた。
茶々丸は「おぉ・・・」とボソッとつぶやいただけだった。
「無茶ギターうまいなぁ」と僕が言った。
茶々丸は「自分ベース弾くん?」と僕に聞きながら僕のベースに目をやりながら自分のギターを取り出した。
二人、ギクシャクした口数の少ない会話をした。
茶々丸はあまりしゃべることも無くギターのジャックをアンプに差し込んだ。
「先輩も誰もおれへんし(いないし)なんかやろか?」と茶々丸が提案した。
僕は良いアイデアだと思ったけれど新入生が先輩に許可無く勝手に演奏をして良いのか気になった。
茶々丸はあまりお構いなしの様子だった。
僕は誰のベースアンプかも分からなかったけれど、一番音が良さそうなベースアンプを勝手に使った。
その様子を見ていた他の新入生も自分の楽器を取り出した。
一人はGibsonの335を持った渋い感じの男の人だった。
後に彼は「たけやん」と言うあだ名が付いた。
もう一人はペダルとスティックを持ってドラムに座った、彼はドラマーだった。
彼は後に「うっちゃん」と呼ばれた
ちなみに僕は「にーやん」だった。
すでに茶々丸の猛烈なギタープレーを目の当たりにしていたので茶々丸の腕前は知っていた。
もう一人の335を持った「たけやん」のギターは初めてだった。
335だけに彼の弾くギターのフレーズもジョージーベンソンのような、ジャズっぽい世界のフレーズだった。
「たけやん」はトーンも甘く素晴らしくスムーズなギターを弾いた。
茶々丸が「おぉーエエ感じやん」と言って数フレーズ聞いただけで彼がどの程度のギタープレイヤーか判断したようだった。
ドラマーの「うっちゃん」のドラムは手数の多いスティーブガッドタイプのフュージョンドラマーだった。
リズムは軽やかで時にとても子気味よいスネアのパラリドルや16分のキックドラムなどハードロックには無いグルーブに心奪われた。
僕はこう言うタイプのドラマーとやるのは初めてだったので楽しかった。
僕はセッションと言えどもこの4人でやる音楽性が何となくロックではないと思った。
僕は少し早めのサンバのグルーブの循環コードのベースラインでセッションのテーマをみんなに投げかけた。
Cmaj7 /Dm7 /Cmaj7 /Dm7/Fmaj7/Em7/Dm7/Fmaj7/Em7/Dm7/
当時流行っていた「プリズム」と言う日本のフュージョンバンドの曲に似たベースのラインを繰り返した。
ドラムの人がキックドラムでサンバを決定付けるグルーブを作りライドシンバルが入りスネアが入り絶妙なおかずが入って335の「たけやん」のギターがスリリングなカッティングで音のキャンパスに加わった。
「たけやん」の美味しいバッキングギターは無駄な音が無く絶妙なタイム感だった。
茶々丸はしばらくその様子を見ながら頭を振りながら即興でテーマメロディーを奏でた。
茶々丸の即興テーマメロディーはスリリングで美しかった。
突き抜ける青い空が見えるような爽やかなメロディーだった。
4人の音が色々に混ざり合いそして音の塊にとなった。
茶々丸はテーマメロディーからソロに突入した。
その素晴らしいアドリブに僕は体全体が浮き上がるような高揚感を味わった。
気が付いたら「たけやん」が新たな世界を作り上げるソロへとバトンタッチしていた。
メンバー全員の演奏はどんどん盛り上がりセッションのクライマックスが来た。
そして又頭のテーマベースへと戻った・・・。
その繰り返しのパターンで僕達は40分ほど夢中でセッションをしていた。
何度もセッションのクライマックスを向かえ僕達は演奏を終えた・・・。
演奏を終え「おぉ!みんな目茶ええ感じやん!!」誰からとも無く声がした。
神様の配慮か、新入生4人で全てのパートが揃い、4人共ほぼ同じレベルの演奏力があった。
この偶然の凄いところは、他の新入生がほぼ全員初心者レベルだったのを考えると驚く。
みんな素晴らしい笑顔だった。
よく考えたら、みんなまだ挨拶らしい挨拶もしていないけれど、もう僕達は仲間になった。
茶々丸もセッションが終わってみんなと打ち解けた。
ほんの40分前のあのギクシャクしていた雰囲気はあっという間に吹っ飛んでいた。
音楽は素晴らしい、言葉の要らないコミュニケーションの世界。
僕達は音でお互いを理解した、そして音はとても正直にその人を表していた。
僕達はその日からずっと一緒に演奏をするようになった。
しばらくの間、朝、昼、夕方構わず、自分達の音のキャッチボールに没頭した。
僕はそれまでやって来たハードロックとは違う世界に我を忘れた。
早くも新入生ばかりでバンドらしきものが出来てしまった。
1週間ほどしたある日、僕と茶々丸は部長の熊さんに呼び出された。
「おい、お前らなぁ、演奏が上手いのはもう分かった。でもな、あんまりなぁー先輩がいる前で好き勝手演奏するな。特に2年生の前ではもう禁止や、分かったか?」
僕達は先輩の言葉に驚いたと共に目が覚めた。
よく考えると、大学から楽器を始めたと言う初心者レベルの先輩も決して少なくなかったのだ。
もう少しデリカシーを持つべきであった。
クラブにはクラブの歩みの速さがあり、学年別にやるべき決まり事が暗黙の内にあった。
技術があろうか無かろうが、新入生には新入生の立場があり、先輩には先輩の立場があると言う社会性のイロハを学ぶことも「クラブ活動」の大事な部分でもある。
そういう意味では、僕達は傍若無人にやりすぎた。
先輩の中には、僕達が部室でセッションしているのが分かると部屋にさえ入ってこない先輩もいた。
僕達はここが学校の教育の一環の場所でもある「軽音楽部」と言うのを忘れていた。
僕達は早くも「軽音楽部」で行き場が無くなり、僕はある種の息苦しさを感じた。
僕はLOUDNESSに入るまで飛行機に乗ったことが無かった。
初めて飛行機に乗ったとき、タッカンに真顔で「飛行機乗る時な、靴脱ぎや」とアドヴァイスされた。
機内土足厳禁とは知らなかった。
その言葉を信じ切っていた僕は飛行機の入り口で靴を脱ごうとすると、あわててスチュワーデス(当時の呼び方)のおねーさんが「あ、お靴はそのままで!!」
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僕はベースのソフトケースを肩にかけバスから降りた。
京都千本北大路バス停から大学の校門まで新入生で溢れかえっていた。
みんな嬉しそうで楽しそうだった。
僕はオリエンテーション以来、授業にあまり出席をしていなかった。
既に履修科目すら何をとったのか怪しかった。
その日、僕は校門を入り授業には出ず、そのまま「軽音学部室」へ直行した。
午前中と言うこともあってか部室には新入生しかいなかった。
部室内を見渡すとジェフベックにそっくりの「茶々丸」もそこにいた。
茶々丸も自分のギターを持ってきているようだった。
「まいど、自分(あなた)新入生やったんやな~、自分こないだ先輩とやっとったやろ?(セッションしていただろう?)」
僕は少し改まった感じで聞いた。
茶々丸は「おぉ・・・」とボソッとつぶやいただけだった。
「無茶ギターうまいなぁ」と僕が言った。
茶々丸は「自分ベース弾くん?」と僕に聞きながら僕のベースに目をやりながら自分のギターを取り出した。
二人、ギクシャクした口数の少ない会話をした。
茶々丸はあまりしゃべることも無くギターのジャックをアンプに差し込んだ。
「先輩も誰もおれへんし(いないし)なんかやろか?」と茶々丸が提案した。
僕は良いアイデアだと思ったけれど新入生が先輩に許可無く勝手に演奏をして良いのか気になった。
茶々丸はあまりお構いなしの様子だった。
僕は誰のベースアンプかも分からなかったけれど、一番音が良さそうなベースアンプを勝手に使った。
その様子を見ていた他の新入生も自分の楽器を取り出した。
一人はGibsonの335を持った渋い感じの男の人だった。
後に彼は「たけやん」と言うあだ名が付いた。
もう一人はペダルとスティックを持ってドラムに座った、彼はドラマーだった。
彼は後に「うっちゃん」と呼ばれた
ちなみに僕は「にーやん」だった。
すでに茶々丸の猛烈なギタープレーを目の当たりにしていたので茶々丸の腕前は知っていた。
もう一人の335を持った「たけやん」のギターは初めてだった。
335だけに彼の弾くギターのフレーズもジョージーベンソンのような、ジャズっぽい世界のフレーズだった。
「たけやん」はトーンも甘く素晴らしくスムーズなギターを弾いた。
茶々丸が「おぉーエエ感じやん」と言って数フレーズ聞いただけで彼がどの程度のギタープレイヤーか判断したようだった。
ドラマーの「うっちゃん」のドラムは手数の多いスティーブガッドタイプのフュージョンドラマーだった。
リズムは軽やかで時にとても子気味よいスネアのパラリドルや16分のキックドラムなどハードロックには無いグルーブに心奪われた。
僕はこう言うタイプのドラマーとやるのは初めてだったので楽しかった。
僕はセッションと言えどもこの4人でやる音楽性が何となくロックではないと思った。
僕は少し早めのサンバのグルーブの循環コードのベースラインでセッションのテーマをみんなに投げかけた。
Cmaj7 /Dm7 /Cmaj7 /Dm7/Fmaj7/Em7/Dm7/Fmaj7/Em7/Dm7/
当時流行っていた「プリズム」と言う日本のフュージョンバンドの曲に似たベースのラインを繰り返した。
ドラムの人がキックドラムでサンバを決定付けるグルーブを作りライドシンバルが入りスネアが入り絶妙なおかずが入って335の「たけやん」のギターがスリリングなカッティングで音のキャンパスに加わった。
「たけやん」の美味しいバッキングギターは無駄な音が無く絶妙なタイム感だった。
茶々丸はしばらくその様子を見ながら頭を振りながら即興でテーマメロディーを奏でた。
茶々丸の即興テーマメロディーはスリリングで美しかった。
突き抜ける青い空が見えるような爽やかなメロディーだった。
4人の音が色々に混ざり合いそして音の塊にとなった。
茶々丸はテーマメロディーからソロに突入した。
その素晴らしいアドリブに僕は体全体が浮き上がるような高揚感を味わった。
気が付いたら「たけやん」が新たな世界を作り上げるソロへとバトンタッチしていた。
メンバー全員の演奏はどんどん盛り上がりセッションのクライマックスが来た。
そして又頭のテーマベースへと戻った・・・。
その繰り返しのパターンで僕達は40分ほど夢中でセッションをしていた。
何度もセッションのクライマックスを向かえ僕達は演奏を終えた・・・。
演奏を終え「おぉ!みんな目茶ええ感じやん!!」誰からとも無く声がした。
神様の配慮か、新入生4人で全てのパートが揃い、4人共ほぼ同じレベルの演奏力があった。
この偶然の凄いところは、他の新入生がほぼ全員初心者レベルだったのを考えると驚く。
みんな素晴らしい笑顔だった。
よく考えたら、みんなまだ挨拶らしい挨拶もしていないけれど、もう僕達は仲間になった。
茶々丸もセッションが終わってみんなと打ち解けた。
ほんの40分前のあのギクシャクしていた雰囲気はあっという間に吹っ飛んでいた。
音楽は素晴らしい、言葉の要らないコミュニケーションの世界。
僕達は音でお互いを理解した、そして音はとても正直にその人を表していた。
僕達はその日からずっと一緒に演奏をするようになった。
しばらくの間、朝、昼、夕方構わず、自分達の音のキャッチボールに没頭した。
僕はそれまでやって来たハードロックとは違う世界に我を忘れた。
早くも新入生ばかりでバンドらしきものが出来てしまった。
1週間ほどしたある日、僕と茶々丸は部長の熊さんに呼び出された。
「おい、お前らなぁ、演奏が上手いのはもう分かった。でもな、あんまりなぁー先輩がいる前で好き勝手演奏するな。特に2年生の前ではもう禁止や、分かったか?」
僕達は先輩の言葉に驚いたと共に目が覚めた。
よく考えると、大学から楽器を始めたと言う初心者レベルの先輩も決して少なくなかったのだ。
もう少しデリカシーを持つべきであった。
クラブにはクラブの歩みの速さがあり、学年別にやるべき決まり事が暗黙の内にあった。
技術があろうか無かろうが、新入生には新入生の立場があり、先輩には先輩の立場があると言う社会性のイロハを学ぶことも「クラブ活動」の大事な部分でもある。
そういう意味では、僕達は傍若無人にやりすぎた。
先輩の中には、僕達が部室でセッションしているのが分かると部屋にさえ入ってこない先輩もいた。
僕達はここが学校の教育の一環の場所でもある「軽音楽部」と言うのを忘れていた。
僕達は早くも「軽音楽部」で行き場が無くなり、僕はある種の息苦しさを感じた。
by loudness_ex
| 2008-04-11 22:33