奇跡が起こるの巻き
LOUDNESS豆日記&情報
ひぐっつあんは僕が居候を始めた時から交友が広く、ほぼ毎晩、誰かしら有名なミュージシャンがひぐっつあんのマンションに遊びに来ていた。
その度に僕はビビッタ、だって目の前に超有名人が普通にいるんだもの、酒飲んでいるんだもの、召し喰っているんだもの、僕の名前を呼んでいるんだもの・・・。
大阪から出てきたばかりの田舎者には刺激がキツイ日々だった。
ある日、山本恭二さんがモトクロスのバイクに乗ってひぐっつあんのマンションに遊びに来た。
恭二さんにはその時に初めてお会いした。
僕は高校の頃にエアロスミスとキッスのコンサートでバウワウのライブを2度見ていたのでご本人を目の前にして物凄く緊張したのを覚えている。
(雑誌と同じ顔や)と当たり前のことで感動していた。
「デービー」・・・恭二さんはひぐっつあんのことを当時こう呼んでいた。
僕はレージーのことをあまりよく知らなかったので、ひぐっつあんが「デービー」と呼ばれていることを知ったときには少し笑ってしまった。
デービー・・・って・・・。
「二井原君始めまして、山本です」
始めて会った恭二さんは、とても紳士で礼儀正しい方だった。
僕はひたすら(わ、わぁ、あわわわ、・・・や、や、山本恭二や・・)とビビリまくって心の中で呼び捨てにしていた。
そう言えば僕もファンの人達、それも結構な年下と思われる人から「二井原」と呼び捨てによくされる。
別に不快感は特に無い、まぁー確かに学校なんかで有名人は呼び捨てにして友達と話をしているもんね。
恭二さんとはそれ以来のお付き合いになる。
六本木で一緒に呑んで相当失礼無礼をやらかしても、いつもニコニコの恭二さん。
かれこれ、あれから27年もなるのね。
本当にお世話になっています・・・・。
===================================
夢にまで見たスティングレーベース、これが本物の音だと思った。
ふくよかで太い音、それでいて芯のある音。
アンプを通さなくても、ボディーに耳を当てて生の響きを聞いていても、うっとりするほどのボディーの鳴りですでに迫力満点だと思った。
これかぁ・・・・スティングレーやぁ・・。
エアロスミスのアルバムで聞きなれたベースの音だと思った。
実際エアロスミスのアルバムでトムさんが本当にスティングレーを使っていたかは不明だけれど、アルバムの音と同じだと思って興奮した。
フレットの握り具合も素晴らしくスムーズで、何もかもが完璧だと思った。
僕は嬉しくって一晩中ベースを弾いた、寝るときはベースと一緒に寝た、朝起きてまずスティングレーがあるのを確かめて夢でないことを確認した。
スティングレーは片時も僕から離れることは無かった。
どこへ行くにも一緒だった。
一方、シャラのギブソンフの白いライングVもとても美しかった。
勿論、シャラも僕と同じように嬉しかったに違いない。
きっと、一晩中ギターを弾き磨いていたに違いない。
ある日「家においでーや、ええもん見せたるわ」とシャラから電話があった。
僕はシャラの家へ遊びに行った。
シャラの実家は大きな日本家屋、まさに屋敷と言うほどに大きな家だった。
角のタバコ屋の貧相な我が家とは大違いだった。
その大きな屋敷の2階にシャラの部屋はあった。
僕はシャラに誘導されるまま2階のシャラの部屋へ行った。
「びっくりすんなよ!」シャラは満面の笑みで障子を開けた。
「ジャジャ~~~~ン♪」
僕の目の前にはなんとマーシャルの3段積みのギターアンプが燦然と神々しき光を放ちシャラの部屋に鎮座しているではないか!!!

日本家屋の、それも絵に描いたような和室丸出しのシャラの部屋とマーシャルの異様なコントラストが強烈な印象だった。
「おぉ~~~なんじゃ~~~これは~~~~!!!嘘や~~マーシャルやんけ~!!」
僕は目の前にあるマーシャルのオールドギターアンプに目を奪われた。
マーシャルと言えば世界中のギタープレイヤーの憧れである。
ハードロックと言えばアンプはマーシャルである。
「凄いやろ~~~」シャラは自慢げに目を輝かせていた。
「すごいなぁ~~まじで買うたんやぁ~~」僕はため息しか出なかった。
「こんなごついアンプ、家で鳴らして大丈夫なんか?」
「おぉ一まだなぁ1回だけやけどなぁ、フルで一瞬鳴らしたったわ!ヘヘ・・」屈託無くシャラが笑った。
「1回だけ一瞬鳴らした」と言うフレーズが悲しいほどに正直だった。
「ニーちゃんもベースアンプなんかエエのん買えやぁ~、ベースもっとウマ(うまく)なんで~♪」
僕も欲しかった・・・
僕もシャラのマーシャル並みのベースアンプが欲しかった。
でもすでにスティングレーで貯金は使い果たしていた。
ただ、シャラがマーシャルの3段積みの100Wのゴツイアンプなのに、ベースの僕がローランドの50Wではバランスが悪すぎると思った。
ベースギターにもあまりこだわりが無かったぐらいだ、当然ベースアンプにも全くこだわりは無かった。
ベースアンプと言えばアンペグだと思っていたけれど高価すぎた・・
僕には手が出せなかった。
手ごろな値段でマーシャルに張り合えるアンプ・・絶望的な気分になった。
どうしようか・・・本当に困った。
毎日「マーシャルに張り合えるベースをなんとかなりませんか?」と心の中で祈るしかなかった。
本当に神にすがる思いだった。
そんなある日、突然、あるベースプレイヤーから「俺のベーアン(ベースアンプ)買う?」と電話があった。
その人とはそれ程知り合いでもなかったけれど突然の舞い込んだ吉報である。
それもただ同然の破格の安値だった・・・・まさに奇跡は起きたのだ!!
ベースアンプを買うお金の余裕も無く、スティングレーを買うだけで精一杯だったけれど、なんと言う幸運だ!!
「え~うっそ~~まじ???」と僕は声が上ずった
「で、アンプは何なん?」と声をひっくり返しながら聞いた。
「HIWATTなんやけど無茶エエ音してるでぇ」と彼は言った。
「え~~~HIWATT!!!!」僕は失神しそうになった、いや数秒は失神していたと思う。
当時の僕にとってはまさに高嶺の花で買えるわけもない高価なアンプだった。
そして、マーシャルと一緒に音を出しても負けないぐらいのパワーのあるアンプだった。
本当に今から思い出してもありえないような奇跡だ。
僕は考えるまでも無く彼の申し出に飛びついた。

彼のアンプHIWATT CUSTOM 100 (写真のやつね!格好いいでしょ!!ひゃ~~懐かしい!) はベーシストの間でも非常に評判が良く人気もあった。
アンペグ、マーシャルと肩を並ぶほどの名器だ。
そしてスティングレーベースとの相性も抜群に良かった。
陳腐な表現かもしれないけれど、まさに神様が僕に授けてくれたとしか言いようが無かった。
こうしてシャラはギブソンのフライングVにマーシャルアンプ。
僕はミュージックマンのスティングレーにHIWATTアンプ。
二人とも同じような時期に素晴らしい楽器を手にすることになった。
ロックの神様はどんどん僕達の背中を押しているような気がした・・・。
ひぐっつあんは僕が居候を始めた時から交友が広く、ほぼ毎晩、誰かしら有名なミュージシャンがひぐっつあんのマンションに遊びに来ていた。
その度に僕はビビッタ、だって目の前に超有名人が普通にいるんだもの、酒飲んでいるんだもの、召し喰っているんだもの、僕の名前を呼んでいるんだもの・・・。
大阪から出てきたばかりの田舎者には刺激がキツイ日々だった。
ある日、山本恭二さんがモトクロスのバイクに乗ってひぐっつあんのマンションに遊びに来た。
恭二さんにはその時に初めてお会いした。
僕は高校の頃にエアロスミスとキッスのコンサートでバウワウのライブを2度見ていたのでご本人を目の前にして物凄く緊張したのを覚えている。
(雑誌と同じ顔や)と当たり前のことで感動していた。
「デービー」・・・恭二さんはひぐっつあんのことを当時こう呼んでいた。
僕はレージーのことをあまりよく知らなかったので、ひぐっつあんが「デービー」と呼ばれていることを知ったときには少し笑ってしまった。
デービー・・・って・・・。
「二井原君始めまして、山本です」
始めて会った恭二さんは、とても紳士で礼儀正しい方だった。
僕はひたすら(わ、わぁ、あわわわ、・・・や、や、山本恭二や・・)とビビリまくって心の中で呼び捨てにしていた。
そう言えば僕もファンの人達、それも結構な年下と思われる人から「二井原」と呼び捨てによくされる。
別に不快感は特に無い、まぁー確かに学校なんかで有名人は呼び捨てにして友達と話をしているもんね。
恭二さんとはそれ以来のお付き合いになる。
六本木で一緒に呑んで相当失礼無礼をやらかしても、いつもニコニコの恭二さん。
かれこれ、あれから27年もなるのね。
本当にお世話になっています・・・・。
===================================
夢にまで見たスティングレーベース、これが本物の音だと思った。
ふくよかで太い音、それでいて芯のある音。
アンプを通さなくても、ボディーに耳を当てて生の響きを聞いていても、うっとりするほどのボディーの鳴りですでに迫力満点だと思った。
これかぁ・・・・スティングレーやぁ・・。
エアロスミスのアルバムで聞きなれたベースの音だと思った。
実際エアロスミスのアルバムでトムさんが本当にスティングレーを使っていたかは不明だけれど、アルバムの音と同じだと思って興奮した。
フレットの握り具合も素晴らしくスムーズで、何もかもが完璧だと思った。
僕は嬉しくって一晩中ベースを弾いた、寝るときはベースと一緒に寝た、朝起きてまずスティングレーがあるのを確かめて夢でないことを確認した。
スティングレーは片時も僕から離れることは無かった。
どこへ行くにも一緒だった。
一方、シャラのギブソンフの白いライングVもとても美しかった。
勿論、シャラも僕と同じように嬉しかったに違いない。
きっと、一晩中ギターを弾き磨いていたに違いない。
ある日「家においでーや、ええもん見せたるわ」とシャラから電話があった。
僕はシャラの家へ遊びに行った。
シャラの実家は大きな日本家屋、まさに屋敷と言うほどに大きな家だった。
角のタバコ屋の貧相な我が家とは大違いだった。
その大きな屋敷の2階にシャラの部屋はあった。
僕はシャラに誘導されるまま2階のシャラの部屋へ行った。
「びっくりすんなよ!」シャラは満面の笑みで障子を開けた。
「ジャジャ~~~~ン♪」
僕の目の前にはなんとマーシャルの3段積みのギターアンプが燦然と神々しき光を放ちシャラの部屋に鎮座しているではないか!!!

日本家屋の、それも絵に描いたような和室丸出しのシャラの部屋とマーシャルの異様なコントラストが強烈な印象だった。
「おぉ~~~なんじゃ~~~これは~~~~!!!嘘や~~マーシャルやんけ~!!」
僕は目の前にあるマーシャルのオールドギターアンプに目を奪われた。
マーシャルと言えば世界中のギタープレイヤーの憧れである。
ハードロックと言えばアンプはマーシャルである。
「凄いやろ~~~」シャラは自慢げに目を輝かせていた。
「すごいなぁ~~まじで買うたんやぁ~~」僕はため息しか出なかった。
「こんなごついアンプ、家で鳴らして大丈夫なんか?」
「おぉ一まだなぁ1回だけやけどなぁ、フルで一瞬鳴らしたったわ!ヘヘ・・」屈託無くシャラが笑った。
「1回だけ一瞬鳴らした」と言うフレーズが悲しいほどに正直だった。
「ニーちゃんもベースアンプなんかエエのん買えやぁ~、ベースもっとウマ(うまく)なんで~♪」
僕も欲しかった・・・
僕もシャラのマーシャル並みのベースアンプが欲しかった。
でもすでにスティングレーで貯金は使い果たしていた。
ただ、シャラがマーシャルの3段積みの100Wのゴツイアンプなのに、ベースの僕がローランドの50Wではバランスが悪すぎると思った。
ベースギターにもあまりこだわりが無かったぐらいだ、当然ベースアンプにも全くこだわりは無かった。
ベースアンプと言えばアンペグだと思っていたけれど高価すぎた・・
僕には手が出せなかった。
手ごろな値段でマーシャルに張り合えるアンプ・・絶望的な気分になった。
どうしようか・・・本当に困った。
毎日「マーシャルに張り合えるベースをなんとかなりませんか?」と心の中で祈るしかなかった。
本当に神にすがる思いだった。
そんなある日、突然、あるベースプレイヤーから「俺のベーアン(ベースアンプ)買う?」と電話があった。
その人とはそれ程知り合いでもなかったけれど突然の舞い込んだ吉報である。
それもただ同然の破格の安値だった・・・・まさに奇跡は起きたのだ!!
ベースアンプを買うお金の余裕も無く、スティングレーを買うだけで精一杯だったけれど、なんと言う幸運だ!!
「え~うっそ~~まじ???」と僕は声が上ずった
「で、アンプは何なん?」と声をひっくり返しながら聞いた。
「HIWATTなんやけど無茶エエ音してるでぇ」と彼は言った。
「え~~~HIWATT!!!!」僕は失神しそうになった、いや数秒は失神していたと思う。
当時の僕にとってはまさに高嶺の花で買えるわけもない高価なアンプだった。
そして、マーシャルと一緒に音を出しても負けないぐらいのパワーのあるアンプだった。
本当に今から思い出してもありえないような奇跡だ。
僕は考えるまでも無く彼の申し出に飛びついた。

彼のアンプHIWATT CUSTOM 100 (写真のやつね!格好いいでしょ!!ひゃ~~懐かしい!) はベーシストの間でも非常に評判が良く人気もあった。
アンペグ、マーシャルと肩を並ぶほどの名器だ。
そしてスティングレーベースとの相性も抜群に良かった。
陳腐な表現かもしれないけれど、まさに神様が僕に授けてくれたとしか言いようが無かった。
こうしてシャラはギブソンのフライングVにマーシャルアンプ。
僕はミュージックマンのスティングレーにHIWATTアンプ。
二人とも同じような時期に素晴らしい楽器を手にすることになった。
ロックの神様はどんどん僕達の背中を押しているような気がした・・・。
by loudness_ex
| 2008-04-02 17:16
