モンチッチ
LOUDNESS日記
新作METAL MADのヴォーカルメロディーと英語歌詞のアドヴァイスにハリケーンアイズで手伝ってくれたSTEVE JOHNSTADさんが力を貸してくれた。
彼とのやり取りはすべてメール。
例えば、今日ある曲を録音したとする、それをMP3ファイルで彼に送ったら数日後には彼のメロアイデアのMP3ファイルと添削された英語の歌詞がメールで届く。
勿論80年代にも海外の作詞家と仕事はしていたけれど、当時、歌詞はファックスですぐに手に入るとしても、音源は郵送になるので数週間を要した。
結局、完璧なものが仕上がるのに3週間以上かかるのはざらであった。
今は早ければ1日に何度もアメリカとリアルタイムでやり取りをやって、最短で数時間で1曲が完成する。
本当にネットって便利だわ・・・。
=========
アースシェイカーを結成したぐらいから、ヴィジュアルも気にするようになった。
ずっと純真一直線童貞(少なくとも僕はそうだった、なんか文句ある?)高校正ロック坊主もいっぱしに少し色気付いてきたのか?
僕は中学校では3年間坊主頭だった、高校に入ってロックのロンゲを目指して高校2年の終わりごろにはかなりの長髪になっていた。
シャラがある日「なぁーロッドヘアーにせえへんか?」
ロッドヘアーとはロッドスチュアーがやっていた髪型で両サイドが長く頭のてっぺんがツンツンと言う、当事はかなり先端を行ったロックの頭だった。
「一緒に行こうや・・美容院・・・」シャラが僕を誘った。
僕とシャラは一緒に女性が行くヘアーサロン(美容室)へ行った。
散髪屋(床屋)でバリカンしか知らなかった僕としては未知なる世界、「ヘアーサロン」だ。
その頃はまだ男性が美容室でカットすると言うことは珍しく、かなりの確立で「男性お断り」と言う張り紙のお店があった。
梅田で男性もカットしてくれる店をシャラが見つけていて、僕とシャラはそこへ行った。
カットするお姉ーさんにロッドスチュアートの写真の切り抜きを見せて「こんな風にして」と少し照れながら言ったら、お姉さんは穴が開くほど写真に見入り「ほんまに??これ?でええの?」と言ってクスッと笑った。
晴れて、僕もシャラも頭のてっぺん部分がツンツンの憧れのロッドへアーになった。
髪形はまさに写真通りなのだけど、なんか違うなと考え気が付いた。
ロッドは金髪で僕らは黒髪であるということに気が付いたのだ。
さすがに金髪にする勇気はシャラも僕も持ち合わせていなかった・・・。
シャラは毎朝そのツンツン部分を几帳面におっ立てて学校に来ていた。
悲劇が起こったのは高校3年になった時だ。
髪型も含めとても自由な高校だったのに急に校則が変わった。
新たな校則は「髪は耳を出す」である。
僕とシャラは困った・・・・。
ロッドヘアーにしたばかりである。
校則に従ってロッドヘアーを切れば、それは単なる「もんちっちヘアー」である。
僕とシャラは必死で抵抗したがさすがに無理だった。
シャラは早々に髪を切って「モンチッチ」になった。
僕はがんばって校則に抵抗したが、抵抗しすぎた。
生活指導の怖い先生に呼び出された。
「学校辞めるか、坊主にして来い」
次の日僕は坊主に逆戻りした・・・
新作METAL MADのヴォーカルメロディーと英語歌詞のアドヴァイスにハリケーンアイズで手伝ってくれたSTEVE JOHNSTADさんが力を貸してくれた。
彼とのやり取りはすべてメール。
例えば、今日ある曲を録音したとする、それをMP3ファイルで彼に送ったら数日後には彼のメロアイデアのMP3ファイルと添削された英語の歌詞がメールで届く。
勿論80年代にも海外の作詞家と仕事はしていたけれど、当時、歌詞はファックスですぐに手に入るとしても、音源は郵送になるので数週間を要した。
結局、完璧なものが仕上がるのに3週間以上かかるのはざらであった。
今は早ければ1日に何度もアメリカとリアルタイムでやり取りをやって、最短で数時間で1曲が完成する。
本当にネットって便利だわ・・・。
=========
アースシェイカーを結成したぐらいから、ヴィジュアルも気にするようになった。
ずっと純真一直線童貞(少なくとも僕はそうだった、なんか文句ある?)高校正ロック坊主もいっぱしに少し色気付いてきたのか?
僕は中学校では3年間坊主頭だった、高校に入ってロックのロンゲを目指して高校2年の終わりごろにはかなりの長髪になっていた。
シャラがある日「なぁーロッドヘアーにせえへんか?」
ロッドヘアーとはロッドスチュアーがやっていた髪型で両サイドが長く頭のてっぺんがツンツンと言う、当事はかなり先端を行ったロックの頭だった。
「一緒に行こうや・・美容院・・・」シャラが僕を誘った。
僕とシャラは一緒に女性が行くヘアーサロン(美容室)へ行った。
散髪屋(床屋)でバリカンしか知らなかった僕としては未知なる世界、「ヘアーサロン」だ。
その頃はまだ男性が美容室でカットすると言うことは珍しく、かなりの確立で「男性お断り」と言う張り紙のお店があった。
梅田で男性もカットしてくれる店をシャラが見つけていて、僕とシャラはそこへ行った。
カットするお姉ーさんにロッドスチュアートの写真の切り抜きを見せて「こんな風にして」と少し照れながら言ったら、お姉さんは穴が開くほど写真に見入り「ほんまに??これ?でええの?」と言ってクスッと笑った。
晴れて、僕もシャラも頭のてっぺん部分がツンツンの憧れのロッドへアーになった。
髪形はまさに写真通りなのだけど、なんか違うなと考え気が付いた。
ロッドは金髪で僕らは黒髪であるということに気が付いたのだ。
さすがに金髪にする勇気はシャラも僕も持ち合わせていなかった・・・。
シャラは毎朝そのツンツン部分を几帳面におっ立てて学校に来ていた。
悲劇が起こったのは高校3年になった時だ。
髪型も含めとても自由な高校だったのに急に校則が変わった。
新たな校則は「髪は耳を出す」である。
僕とシャラは困った・・・・。
ロッドヘアーにしたばかりである。
校則に従ってロッドヘアーを切れば、それは単なる「もんちっちヘアー」である。
僕とシャラは必死で抵抗したがさすがに無理だった。
シャラは早々に髪を切って「モンチッチ」になった。
僕はがんばって校則に抵抗したが、抵抗しすぎた。
生活指導の怖い先生に呼び出された。
「学校辞めるか、坊主にして来い」
次の日僕は坊主に逆戻りした・・・
by loudness_ex
| 2008-03-28 00:01
