マックスとの出会い
クリスマスだね!!
ハッピーホリデー!!!
早くも今年あと一週間ほど・・・。
呑みすぎ注意>みの吉
***********************
1984年8月下旬
ホテルのレストラン、朝食を兼ねてラウドネスメンバーとアメリカ側、日本側のマネージャーとマックスノーマンがテーブルを囲んだ。
メガネの中の目が冷徹な光を放ち、見るからに神経質そうな男がマックスノーマンだった。
挨拶の時も、あまり親近感と言うものを感じられないのが第一印象だった。
(お前たち、プロの仕事をするんだぞ!)
彼は多くを語らないけれど、言葉の端々に厳しさを思わせるものがあった。
「これから君達は世界に出すアルバムを作るんだ、これがどう言う意味か分かるか?」
メンバーは何を言えば良いのか分からないまま固まった。
別に何も始まっていないのに、どう言う訳かすでに怒られているような緊張感が半端じゃない(笑)
どちらがボスか?
バンドとプロデューサー、力関係をはっきりさせるのは大事だろう。
もっと穿った言い方をすれば、(俺を舐めるなよ)と言うマックスのハッタリもあったかもしれない。
だとすれば効果は十分あったと思う。
少なくとも僕はビビった・・・・。
と同時に、我々が日本人だからなのか?
馬鹿にされているような・・・そんな気分がした。
兎に角、友好的な雰囲気は皆無であった。
次の日はリハーサルスタジオのような所で簡単なプリプロをやった。
マックスを囲み新曲を披露するのだ。
マックスは1曲、1曲聴きながら指示を出す。
カセットレコーダーにすべての曲を録音しながら、仮のタイトルを作りメモをとっていた。
「曲はもっとシンプルにした方がいい!」
「ドラムは無駄なフィルを入れないように!」
ひぐっつあんはひたすらリズムキープに専念した。
「ギターのリフはもっとシンプルに!」
タッカンはなるべくシンプルなリフへとギターリフを作り変えた。
時折タッカンが「こんな単純にするんか?俺のイメージと違うなぁ!」と食い下がることもあったけれど、無駄骨だった。
僕は歌詞も出来ていないので何も歌うことが出来ず、そばで見ているしかなかった。「ここの箇所は無駄だ!」と言いバッサバッサ曲をぶった切った。
バンドはまさに言われるままだった。
当時のロック状況は、後に世界中を席捲するLAメタルが沸々と沸騰点に近くなりつつあった。
AC/DCを頂点とするような、シンプルで大きなサビをみんなで大合唱出来るような楽曲が猛威を振るおうとしていた。
革命的アメリカンロックバンドのヴァンへーレンは既にスーパーロックバンドに君臨し、クワイエットライオットそしてモトリークルーがLAを中心に新たなムーブメントとして台風の目になりつつあった。
イギリス発祥のNWBHMがヨーロッパで大噴火し、ヘビーメタルはついにアメリカを襲撃、世界中のバンドやロックファンが怪物アメリカに目を向け始めた。
当然、マックスはそんな世界のロックの流れを見極め、ラウドネスをアメリカマーケットに放り込む為に最高の音、曲を目指していたのは明白だ。
バンドがやりたいこと、マックスがやりたいことは2の次であったのかもしれない。
アメリカで結果を残すことが、マックスにとってもラウドネスにとっても重要な課題であったのかもしれない。
ラウドネスをシンプルにする、プロデューサーマックスノーマンとしては間違った選択では無かったであろうし、完璧な仕事をしたと思う。
噂には聞いていた。
プロデューサーには二通りいて、何もかも意のままにコントロールするタイプと、バンドの一員となるタイプと。
マックスはまさに前者であった。
バンドはこの初めての状況に戸惑った。
率直に言うと、僕は窮屈だった。
まだレコーディング前だったけれど、困難なレコーディングになるのは火を見るより明らかだった。
通訳で来ていたジョージ吾妻さんは、マックスの吐き出す言葉をダイレクトに浴びていたのだが、後日僕に漏らした。
「お前、マックスの言うことをそのまま直訳してたら、お前らとマックスは大喧嘩になってだろうな・・・とてもじゃないけれど直訳なんか出来ないよ・・・。」
英語が理解できなかったラウドネスには都合が良かったかもしれない。
逆に、マックスもストレス無く好き勝手言ってたのかもしれない。
しかし今から思うと、バンドとプロデューサーとは本来こんな関係なのかもしれない。
時に真っ向から対立し、時にプロデューサーと共に奇跡を起こす。
バンドだけでは見えない気が付かない欠点が、第三者であるプロデューサーにははっきりとジャッジ出来る。
バンドだけでやると、自分達がやり易い方向へ向かう傾向があるけれど、プロデューサーはマンネリ化を見極め、客観的に軌道修正してくれる。
バンドにとって「変化する」と言う勇気の要る行為も、プロデューサーが背中を押してくれる。
その結果が吉と出るか凶と出るかは神のみぞ知ることだが。
レコード会社もマネージメントもプロデューサーを必要とするのは、自分たちでは管理不可能なアーティストの我侭や自己満足な世界を牽制できるからであろう。
そして、その裏には「市場」と言う大人の事情があるからだ。
命がけの真剣勝負とはこんな世界のことを言うのか?
世界中のロックバンドはみんなこんなピリピリした状況でレコーディングしてるのか?
僕たちはしばらく混乱した。
ハッピーホリデー!!!
早くも今年あと一週間ほど・・・。
呑みすぎ注意>みの吉
***********************
1984年8月下旬
ホテルのレストラン、朝食を兼ねてラウドネスメンバーとアメリカ側、日本側のマネージャーとマックスノーマンがテーブルを囲んだ。
メガネの中の目が冷徹な光を放ち、見るからに神経質そうな男がマックスノーマンだった。
挨拶の時も、あまり親近感と言うものを感じられないのが第一印象だった。
(お前たち、プロの仕事をするんだぞ!)
彼は多くを語らないけれど、言葉の端々に厳しさを思わせるものがあった。
「これから君達は世界に出すアルバムを作るんだ、これがどう言う意味か分かるか?」
メンバーは何を言えば良いのか分からないまま固まった。
別に何も始まっていないのに、どう言う訳かすでに怒られているような緊張感が半端じゃない(笑)
どちらがボスか?
バンドとプロデューサー、力関係をはっきりさせるのは大事だろう。
もっと穿った言い方をすれば、(俺を舐めるなよ)と言うマックスのハッタリもあったかもしれない。
だとすれば効果は十分あったと思う。
少なくとも僕はビビった・・・・。
と同時に、我々が日本人だからなのか?
馬鹿にされているような・・・そんな気分がした。
兎に角、友好的な雰囲気は皆無であった。
次の日はリハーサルスタジオのような所で簡単なプリプロをやった。
マックスを囲み新曲を披露するのだ。
マックスは1曲、1曲聴きながら指示を出す。
カセットレコーダーにすべての曲を録音しながら、仮のタイトルを作りメモをとっていた。
「曲はもっとシンプルにした方がいい!」
「ドラムは無駄なフィルを入れないように!」
ひぐっつあんはひたすらリズムキープに専念した。
「ギターのリフはもっとシンプルに!」
タッカンはなるべくシンプルなリフへとギターリフを作り変えた。
時折タッカンが「こんな単純にするんか?俺のイメージと違うなぁ!」と食い下がることもあったけれど、無駄骨だった。
僕は歌詞も出来ていないので何も歌うことが出来ず、そばで見ているしかなかった。「ここの箇所は無駄だ!」と言いバッサバッサ曲をぶった切った。
バンドはまさに言われるままだった。
当時のロック状況は、後に世界中を席捲するLAメタルが沸々と沸騰点に近くなりつつあった。
AC/DCを頂点とするような、シンプルで大きなサビをみんなで大合唱出来るような楽曲が猛威を振るおうとしていた。
革命的アメリカンロックバンドのヴァンへーレンは既にスーパーロックバンドに君臨し、クワイエットライオットそしてモトリークルーがLAを中心に新たなムーブメントとして台風の目になりつつあった。
イギリス発祥のNWBHMがヨーロッパで大噴火し、ヘビーメタルはついにアメリカを襲撃、世界中のバンドやロックファンが怪物アメリカに目を向け始めた。
当然、マックスはそんな世界のロックの流れを見極め、ラウドネスをアメリカマーケットに放り込む為に最高の音、曲を目指していたのは明白だ。
バンドがやりたいこと、マックスがやりたいことは2の次であったのかもしれない。
アメリカで結果を残すことが、マックスにとってもラウドネスにとっても重要な課題であったのかもしれない。
ラウドネスをシンプルにする、プロデューサーマックスノーマンとしては間違った選択では無かったであろうし、完璧な仕事をしたと思う。
噂には聞いていた。
プロデューサーには二通りいて、何もかも意のままにコントロールするタイプと、バンドの一員となるタイプと。
マックスはまさに前者であった。
バンドはこの初めての状況に戸惑った。
率直に言うと、僕は窮屈だった。
まだレコーディング前だったけれど、困難なレコーディングになるのは火を見るより明らかだった。
通訳で来ていたジョージ吾妻さんは、マックスの吐き出す言葉をダイレクトに浴びていたのだが、後日僕に漏らした。
「お前、マックスの言うことをそのまま直訳してたら、お前らとマックスは大喧嘩になってだろうな・・・とてもじゃないけれど直訳なんか出来ないよ・・・。」
英語が理解できなかったラウドネスには都合が良かったかもしれない。
逆に、マックスもストレス無く好き勝手言ってたのかもしれない。
しかし今から思うと、バンドとプロデューサーとは本来こんな関係なのかもしれない。
時に真っ向から対立し、時にプロデューサーと共に奇跡を起こす。
バンドだけでは見えない気が付かない欠点が、第三者であるプロデューサーにははっきりとジャッジ出来る。
バンドだけでやると、自分達がやり易い方向へ向かう傾向があるけれど、プロデューサーはマンネリ化を見極め、客観的に軌道修正してくれる。
バンドにとって「変化する」と言う勇気の要る行為も、プロデューサーが背中を押してくれる。
その結果が吉と出るか凶と出るかは神のみぞ知ることだが。
レコード会社もマネージメントもプロデューサーを必要とするのは、自分たちでは管理不可能なアーティストの我侭や自己満足な世界を牽制できるからであろう。
そして、その裏には「市場」と言う大人の事情があるからだ。
命がけの真剣勝負とはこんな世界のことを言うのか?
世界中のロックバンドはみんなこんなピリピリした状況でレコーディングしてるのか?
僕たちはしばらく混乱した。
by loudness_ex
| 2009-12-25 14:59
