M!Z!A!
1984年5月
ツアーの合間を縫って、アトランティックレコードから出る次のアルバムのプリプロダクションをやった。
要するに曲作りだ。
今までは、自分達で好きなように作ってきたけれど、次作からはプロデューサーと一緒にレコーディングだ。
確かに、海外アーティストのCDのクレジットを見ていると、プロデューサー名がデカデカと表示されている。
ともすれば、メインアーティストより名前が大きい扱いの場合も多い。
その頃の日本ロック界では、まだプロデューサーと仕事をすると言う習慣はあまり無かった。
小室哲也のような存在はずっと後になってからのことだ。
日本ではレコード会社にディレクターと言う人がいて、もっぱらその人がプロデューサー的な役割をしていた。
そのディレクターは、レコーディング予算組み、スタジオの選択、候補楽曲選択、歌詞の内容チェック、アルバムアートデザインのコンセプト作りや、ヴォーカルレコーディングには必ずと言っていいほど立ち会っていたし、時には人生相談も引き受けるような、親代わりでもある(笑)
「で、プロデューサー・・・・って何する人なんや?」
僕は頭で考えたけれど、答えは見つからなかった。
そんなある日、アメリカからプロデューサー候補のFAXが届いた。
20名ほどの名前が候補として挙げられていた。
“Martin Birch, Roger Glover, Ted Templeman, George Martin, Gene Simmons, Trevor Horn, Robert John "Mutt" Lange, Max Norman….etc”
「凄いなぁ・・・」
プロデューサ候補の名前を見てメンバーはため息をついた。
「ジョージーマーティンってビートルズの人やん!!」
マー君は興奮した。
僕はアビーロードスタジオで歌っている自分を想像し、アビーロードのアルバムジャケットが頭に浮かんだ。

「でも、LOUDNESSヘビーメタルバンドやで・・・」
「さすがにジョージーマーティンは違うよな・・・」
誰かが言った。
「でも、オモロイかもしれんで~」
タッカンが笑いながら言った。
(もしかしたらポールマッカートニーと会えるかも)
僕は完全にミーハーだった。
それにしても、各プロデューサーの過去プロデュース作品を見ているだけでも目が眩んだ。
超メガトン級のバンド&名盤アルバムばかりだ!!
まさに人類のハードロックの歴史そのままであった。
こんな人達と一緒に仕事をするのか・・・・。
「不安」
僕の頭はこの2文字で一杯であった。
そして、プロデューサーと言う怪物の正体が少し見えてきたような気がした。
次作のデモ作りでスタジオに入ることになった。
今までは、タッカンの小さなテープレコーダーを使って曲作りをしていたけれど、今回は日本コロンビアのレコーディングスタジオを使っての曲作りとデモ録音である。
なんと贅沢な・・・・。
とは言っても、世界的プロデューサーへ送るデモ音源である、失礼があってはならぬ、当然か。
曲作りは順調だった。
タッカンには沢山のアイデアがあった。
タッカンのギターのリフを中心に曲作りは進んだ。
そして、マー君にもアイデアがあった。
「こんなアイデアがあるんやけど・・」
マー君がベースのラインを弾き出した。
とても素敵なプログレッシブなベースラインだった。
マー君は大のプログレ好きだ、どこかにラッシュの匂いがする。
変拍子を多用したプログレ曲的なアイデアだった。
「おぉ~格好エエやん」
タッカンがマー君のベースラインを聞きながら、色々アイデアを付け足して”Run for your life”が完成した。
「こんなんもあんねん・・・」
8分6のヘビーなベースラインだった。
ヨーロッパ的なヘビーメタル然としたベースラインだった。
そして、”Heavy Chain”が完成した。
「やっぱり、あれかな・・・アメリカ的な曲も考えた方がええんかな?」
とタッカン。
「そうやな・・・皆で歌えるような曲なぁ・・・」
とマー君。
「大きなリズムのシンプルな曲なぁ・・・」
とひぐっつあん。
「ちょっとシンプルすぎるかもしれんけど・・」と言ってタッカンがそのリフを弾き出した。
確かに、サビが2コードでとてもシンプルな曲だった。
「サビのメロディーもアイデアがあんねん」
と言いながらギターで弾いた。
「おぉ!これはキャッチーやな!」
僕は叫んだ。
そのサビに何か適当な言葉を考えた。
“R&R CRAZY NIGH”
とりあえず、デモではこれで歌っておこう!
さて、ここで問題は歌詞である・・・。
「歌詞・・・どうすんねん・・・」
「全部英語にせなあかんねやろ・・・」
「そりゃ急には無理やろ」
僕は再び絶望的な気分が襲った。
アメリカ契約してからと言うもの、僕はずっと絶望的な気分だった・・・(涙)
「とりあえず、ハナモゲラで録音しておこう」
誰かはまだ決まっていないけれど、その世界の名プロデューサーに「ハナモゲラ」を送るのである!!
さすがLOUDNESSであった。
「CRAZY NIGHT」の最後のとこみんなで叫ぶとこ入れたいな。
とタッカンが提案した。
“yeah! Gosh! Gya!!”
それまでハナモゲラで適当に叫んでいた箇所だった。
「ここはみんなでイメージ通りに録音しよか?」
とタッカン。
「“yeah! Gosh! Gya!!”だと叫びにくな・・」
「とりあえず、イメージ的にはこんな感じや!」
と言ってタッカンが叫んだ。
“M!Z!A!”
ツアーの合間を縫って、アトランティックレコードから出る次のアルバムのプリプロダクションをやった。
要するに曲作りだ。
今までは、自分達で好きなように作ってきたけれど、次作からはプロデューサーと一緒にレコーディングだ。
確かに、海外アーティストのCDのクレジットを見ていると、プロデューサー名がデカデカと表示されている。
ともすれば、メインアーティストより名前が大きい扱いの場合も多い。
その頃の日本ロック界では、まだプロデューサーと仕事をすると言う習慣はあまり無かった。
小室哲也のような存在はずっと後になってからのことだ。
日本ではレコード会社にディレクターと言う人がいて、もっぱらその人がプロデューサー的な役割をしていた。
そのディレクターは、レコーディング予算組み、スタジオの選択、候補楽曲選択、歌詞の内容チェック、アルバムアートデザインのコンセプト作りや、ヴォーカルレコーディングには必ずと言っていいほど立ち会っていたし、時には人生相談も引き受けるような、親代わりでもある(笑)
「で、プロデューサー・・・・って何する人なんや?」
僕は頭で考えたけれど、答えは見つからなかった。
そんなある日、アメリカからプロデューサー候補のFAXが届いた。
20名ほどの名前が候補として挙げられていた。
“Martin Birch, Roger Glover, Ted Templeman, George Martin, Gene Simmons, Trevor Horn, Robert John "Mutt" Lange, Max Norman….etc”
「凄いなぁ・・・」
プロデューサ候補の名前を見てメンバーはため息をついた。
「ジョージーマーティンってビートルズの人やん!!」
マー君は興奮した。
僕はアビーロードスタジオで歌っている自分を想像し、アビーロードのアルバムジャケットが頭に浮かんだ。

「でも、LOUDNESSヘビーメタルバンドやで・・・」
「さすがにジョージーマーティンは違うよな・・・」
誰かが言った。
「でも、オモロイかもしれんで~」
タッカンが笑いながら言った。
(もしかしたらポールマッカートニーと会えるかも)
僕は完全にミーハーだった。
それにしても、各プロデューサーの過去プロデュース作品を見ているだけでも目が眩んだ。
超メガトン級のバンド&名盤アルバムばかりだ!!
まさに人類のハードロックの歴史そのままであった。
こんな人達と一緒に仕事をするのか・・・・。
「不安」
僕の頭はこの2文字で一杯であった。
そして、プロデューサーと言う怪物の正体が少し見えてきたような気がした。
次作のデモ作りでスタジオに入ることになった。
今までは、タッカンの小さなテープレコーダーを使って曲作りをしていたけれど、今回は日本コロンビアのレコーディングスタジオを使っての曲作りとデモ録音である。
なんと贅沢な・・・・。
とは言っても、世界的プロデューサーへ送るデモ音源である、失礼があってはならぬ、当然か。
曲作りは順調だった。
タッカンには沢山のアイデアがあった。
タッカンのギターのリフを中心に曲作りは進んだ。
そして、マー君にもアイデアがあった。
「こんなアイデアがあるんやけど・・」
マー君がベースのラインを弾き出した。
とても素敵なプログレッシブなベースラインだった。
マー君は大のプログレ好きだ、どこかにラッシュの匂いがする。
変拍子を多用したプログレ曲的なアイデアだった。
「おぉ~格好エエやん」
タッカンがマー君のベースラインを聞きながら、色々アイデアを付け足して”Run for your life”が完成した。
「こんなんもあんねん・・・」
8分6のヘビーなベースラインだった。
ヨーロッパ的なヘビーメタル然としたベースラインだった。
そして、”Heavy Chain”が完成した。
「やっぱり、あれかな・・・アメリカ的な曲も考えた方がええんかな?」
とタッカン。
「そうやな・・・皆で歌えるような曲なぁ・・・」
とマー君。
「大きなリズムのシンプルな曲なぁ・・・」
とひぐっつあん。
「ちょっとシンプルすぎるかもしれんけど・・」と言ってタッカンがそのリフを弾き出した。
確かに、サビが2コードでとてもシンプルな曲だった。
「サビのメロディーもアイデアがあんねん」
と言いながらギターで弾いた。
「おぉ!これはキャッチーやな!」
僕は叫んだ。
そのサビに何か適当な言葉を考えた。
“R&R CRAZY NIGH”
とりあえず、デモではこれで歌っておこう!
さて、ここで問題は歌詞である・・・。
「歌詞・・・どうすんねん・・・」
「全部英語にせなあかんねやろ・・・」
「そりゃ急には無理やろ」
僕は再び絶望的な気分が襲った。
アメリカ契約してからと言うもの、僕はずっと絶望的な気分だった・・・(涙)
「とりあえず、ハナモゲラで録音しておこう」
誰かはまだ決まっていないけれど、その世界の名プロデューサーに「ハナモゲラ」を送るのである!!
さすがLOUDNESSであった。
「CRAZY NIGHT」の最後のとこみんなで叫ぶとこ入れたいな。
とタッカンが提案した。
“yeah! Gosh! Gya!!”
それまでハナモゲラで適当に叫んでいた箇所だった。
「ここはみんなでイメージ通りに録音しよか?」
とタッカン。
「“yeah! Gosh! Gya!!”だと叫びにくな・・」
「とりあえず、イメージ的にはこんな感じや!」
と言ってタッカンが叫んだ。
“M!Z!A!”
by loudness_ex
| 2009-10-10 09:55





