アメリカで経験した何もかもが、僕にとっては宝だった。
3週間の滞在で、多少英語のヒヤリングは上達したけれど、英語の勉強をしたわけでもないので語彙力やグラマーが身についた訳ではない。
英語を身につけるには、しっかりとしかるべき英語の勉強をする必要があると実感したのだ。
ミッシェルへは2日おきぐらいに国際電話をしたお陰で、目玉が飛び出るような請求書が来た。
手紙も出したけれど、返事が来るのに2週間かかるので待ちきれなかった。
ミッシェルからの手紙はいつも手が込んでいて可愛い手紙だった。
沢山の色んな可愛いカードが同封されて、手書きのハートマークで一杯だった。
手紙の書き出しはいつも”Dearest SweetHeart”と書いてあり、その時初めて”SweetHeart”と言う言葉を知った。
手紙の最後には”LOVE YOU!”と書いてあり、最後に沢山の“XXXXXXXXXXX”が書いてあった。
その”XXXXXXXX”の意味がずっと分からなかったので、六本木の呑み屋で知り合ったアメリカ人のモデルさんにこの意味を聞いたら「キスのことだよ」と教えてくれた。
それが嬉しかったのを昨日のことのように覚えている。
僕は英語が幼児並みにしか理解できなかったので、ミッシェルがそのレベルに合わせていたので、手紙の内容は本当に「小さな恋のメロディー」のような可愛い世界だった。
1984年
1月21日にアルバム「撃剣霊化」がリリースされた。
メンバー全員の自信作であり誇りのアルバムだった。
サウンドも演奏も大満足なアルバムだった。
3枚目が出来すぎで4枚目は期待できないだろうと言う人がいたけれど、その期待を見事に裏切り、LOUDNESS恐るべしと好評を博した。
友人達からも絶賛された。
ファンの人からも感動のファンレターを沢山頂いた。
「アレスの嘆き」が大好きで結婚式で流したと言う人もいた。
結婚式に『アレスの嘆き』はどうかとも思ったけれど・・・それはそれで嬉しかった。
4月20日から再びヨーロッパツアーの為に渡欧した。
普通はアルバム発売後と言うことで、日本でのツアーが先行されるはずだけれどヨーロッパツアーが先行となたった。
LOUDNESSのヨーロッパでの人気が本格化したためである。
ヨーロッパでは既に"AKIRA TAKASAKI"と言う名前がニューギターヒーローの仲間入りを果たしていた。
各国のロック雑誌や楽器専門誌のギター人気投票でヴァンへーレンやマイケルシェンカーなどとトップの位置に名前が並んだ。
4月22日
ロンドンのマーキークラブを皮切りにツアーは始まった。
ちなみに、この一連のイギリスツアーに「宇都宮カズさん」という人が通訳や宣伝プロモーションのお手伝いをしてくれたのだけど、彼は後にヴァージン・レコードUSA社長になっていたそうな・・・凄!
"ULTIMATE LOUDNESSより"
ヨーロッパで人気が出たと言っても、正直に言ってイギリスではロンドン以外はまだまだダメだった。
イギリスの田舎のクラブでは悲惨だった。
ライブが始まってもクラブにいるお客さんの殆どはLOUDNESSに興味を示さず、スロットゲームをやったりバーで酒を呑んで騒いでいたり・・・・・。
ライブが始まった時には、珍しいものを観ていると言う若いロック小僧が数人、無言でビールを片手に冷めたように眺めているような状況だった。
ステージに登場した時、そのあまりの寂しい光景に目を疑ったけれど、それにもメゲズにバンドは渾身の力を振り絞って演奏をした。
数人を相手に必死にライブを演奏していると段々とオーディエンスの数が増えてきたのだ。
ゲームをしてLOUDNESSの演奏には全く興味を示さなかったお客さんも、ライブ中盤には皆ゲームの手を休めステージに釘付けになっていた。
ライブ終盤には、クラブ内にいた殆どのお客さんがステージ前に集まり始め、真剣な表情で日本から来たLOUDNESSの演奏に見入った。
僕が思い切ってお客さんを煽ってみると、笑顔で答えてくれた。
最後の曲が終わるや否や歓声が沸き起こり、ついにアンコールも起こった。
終演後,片づけをしていると興奮したお客さんが寄ってきた。
“Hey! You guys are great band!!!”
明らかにLOUDNESSを知らなかったであろうロック兄ちゃんが握手を求めてやってきたのだ。
強いコックニーアクセントでまくし立て何を言っているのかさっぱり分からなかったけれど、彼の表情で興奮しているのは理解できた。
「こんどいつライブに来るのか?」
「次のライブにも必ず来るよ!」
「アルバムは出ているのか?どこで買えるのか?」
そんなことを話していた記憶がある。
ちょっと寂しいイギリスツアーが終わりオランダ、ドイツに渡った。
オランダ、ドイツではイギリスとは打って変って熱狂的メタルキッズで溢れた!
会場もイギリスの数倍の広さのホールだった。
会場は毎晩ほぼ満杯に膨れ上がり、熱狂的だった。
日本語で歌っていようが英語であろうが関係無い様だった。
出来たばっかりのアルバム「撃剣霊化」から沢山曲をやったけれど、オーディエンスは大歓声で大盛り上がり!
前回のヨーロッパツアーの噂が火をつけたようだ。
このライブ模様は”EUROBOUNDS”に収められている。
このライブビデオは日本で発売になるや否や、ヘビーメタルのライブビデオにもかかわらずオリコンの上位に躍り出て前代未聞の事態となり音楽誌や専門誌で話題になった。
NWOBHMから火がついたヘビーメタルブームは確実にヨーロッパを席巻していた。
当時、ドイツ、オランダではメタリカ、アイヤンメイデン、DIOが圧倒的な人気を誇っていたように思う。
特にメタリカの快進撃は凄まじいものがあった。
メタリカの年間350本と言う嘘の様な精力的なライブの本数を聞き、腰を抜かしたのを覚えている。
一日2公演をやっているのだ・・・・
ドイツのファンが僕に言った。
「LOUDNESSよツアーをやれ!メタリカのように地を這うツアーを。俺たちはそれでお前達について行くし、もっとファンが増えるんだ!」
なんとそれはロンドン初公演の夜に伊藤政則さんが僕達に言った言葉と同じだった。
ヘビーメタルの現実と厳しさを身に染みて感じた。
ヘビーメタルは上っ面では評価されない。
ヘビーメタルは生身のライブのぶつかり合いで始めて認めてもらえる世界なのだ。
そしてメタルファンが一番バンドを良く理解している。
メタルファンが一番厳しい評論家なのだ。
こう言う筋金入り生粋のメタルファンを本気に燃え上がらせる為の終わりのない旅。
LOUDNESSはもはや引き返すことが出来ないところまで来てしまった。
世界は扉を開けてLOUDNESSを待っていた・・・・。