SEX! BEER! and R&R!!!(これベッドミドラー主演の映画の有名な台詞ね!BeerがDrugだけど)
沢山のメッセージありがとう!
すべて読ませていただいていますよ!
すべてのメッセージが僕の活動の励みになります。
ありがとう!
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茶々丸は家事と言うものが全く出来ない男だった。(笑)
「卵焼きってどうやって作んねん?」と言う茶々丸の衝撃的発言がいまだに忘れられない。
僕も掃除もしないグータラ男だけど、そんな僕が茶々の面倒を見ると言う前代未聞の事態となった。
ある日、何を思ったか茶々丸と二人で女の子をナンパしに行こうという話しになった。
(血気盛んな若者とは言え、考えることは他に無かったのか?)
僕はずっと付き合っていた女性がいたし、その上バンド一筋に生きてきたので、20そこそこの若い男性がするような遊びの経験が殆ど皆無だったのだ。
取りあえず茶々丸と渋谷へ繰り出した。
二 「なぁー声かけるときなんて言うたらええねん?」
茶 「そんなもんお前「茶―でも行かへんか?」でええんちゃうんか?」
二 「アホ!お前、ここ東京やぞ。「茶―行かへんか?」はあかんやろ!」
茶 「おぉ、そうやな忘れとったな。まぁー何でもええわ、にぃーやん先に声かけて来いや」
二 「まじかいな・・」
僕は人生で初めて街中で知らない女性に声をかけた。
二 「あ、あの・・・す、すいません・・」
女 (鬱陶しそうに振り返る)
二 「あ、あの暇ならお茶でも行きませんか?」
女 (ちらっと振り返ったけれど、明らかに見下して無視・・・・)
二 (玉砕・・・深く傷ついた・・・俺はナンパなんか無理・・・)
一部始終を見ていた茶々丸は爆笑・・・
二 「やっぱり標準語で行かなあかんで・・」
茶 「そうやな、ほな俺標準語で行ってみよか」
二 「お前、東京でて来たばっかりやんけ・・・そりゃ無謀やで」
今度は、あろうことか茶々丸は標準語を武器にチャレンジした。
(がんばれ茶々丸!!)
んがぁ~しかし・・・茶々丸も玉砕・・・。
茶 「『こんど田舎から出てきた時ね』って言われたやんけボケ!!!」
二 爆笑!
茶々丸との共同生活は楽しかった。
僕はそんな茶々丸を部屋に残してLOUDNESSの“WORLD TOUR IN JAPAN SEX UP!”の全国ツアーに出かけたのである。
ちなみに、LOUDNESSの大々的な全国ツアーも“WORLD TOUR IN JAPAN SEX UP!”で3回目になっていて、長いツアーの生活にも随分と慣れた。
全国各地ではライブ終了後には決まって打ち上げがあった。
要するに宴会。
各地のイヴェンターさんが御当地の美味しい郷土料理屋さんで宴を開いてくれた。
全国の有名な美味しいものはだいたい食べたと思う。
全国の有名な美味しいお酒もだいたい呑んだと思う。
僕はこの時期が一番お酒を呑んだかもしれない・・・。
今から思えばまったくのアホである・・。
ヴォーカリストがツアー中に酒を呑むほどの愚行は無い。
まぁーこれも若かったので致し方あるまい。
とは言うものの、体が若かったのだ、深酒をしても一晩寝れば回復していた。
二日酔いも殆ど無かったし。
それにしても血気盛んな若者バンドである。
食べる量も半端ではなかった。(笑)
呑む量も記録的であった。(笑)
豪快と言えば、大阪でふぐで有名な高級フグ料亭で食べた時、普通フグと言えば一切れ一切れ味わうものだけれど、ひぐっつあんは大皿に盛ってあるフグをすべて豪快にさらってすべて一気に鍋に放り込んでいたな・・・。
兎にも角にも、LOUDNESSの打ち上げの豪快さ&底なしさが業界で有名になった。
あるイヴェンターさんが僕に打ち明けた。
「LOUDNESSの呑む喰う量は日本のバンド界では群を抜いている。唯一打ち上げでLOUDNESSに迫るのはチャッカーズだけれど、LOUDNESSに比べると可愛いものですよ。チェッカーズにこのことを言ったらライバル意識燃やしていましたよ。」
それを聞いたひぐっつあんが「アホか!チェッカーズなんかに負ける訳無いやんけ!」と言い放った。
当時の業界内ではLOUDNESSとチェッカーズが打ち上げの豪快さでは横綱級であったそうな・・。
結局、ライブ後のあまりの飲み食いが過ぎて打ち上げ代が深刻な事態となり、事務所が悲鳴を上げた。
ある日社長が叫んだ 「お前ら呑み過ぎじゃ~~!もう打ち上げは無しじゃ~~~!!」
そしてついに打ち上げ禁止令が出てしまったのだ・・・。
お陰で、僕はアルコール中毒にならずにすんだかもしれない。(笑)
まさにLOUDNESSはSEX! BEER! R&R!!であった。
1983年12月、やっと長いツアーから開放されて久しぶりのオフに入った。
僕は当時付き合っていたミッシェルに会いに単身渡米した。
サンフランシスコではパールハーバーの特別番組が盛んにテレビで流れていた時期だった・・・・。
久しぶりに会うミッシェルは一際綺麗になっていた。
ミッシェルの金髪が輝き、ブルーの瞳は何もかも吸い込んでしまうような美しさだった。
サンフランシスコでは沢山の地元メタル/スラッシャーミュージシャンの歓待を受けた。
冬のサンフランシスコはとても美しくてロマンチックだった。

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茶々丸は家事と言うものが全く出来ない男だった。(笑)
「卵焼きってどうやって作んねん?」と言う茶々丸の衝撃的発言がいまだに忘れられない。
僕も掃除もしないグータラ男だけど、そんな僕が茶々の面倒を見ると言う前代未聞の事態となった。
ある日、何を思ったか茶々丸と二人で女の子をナンパしに行こうという話しになった。
(血気盛んな若者とは言え、考えることは他に無かったのか?)
僕はずっと付き合っていた女性がいたし、その上バンド一筋に生きてきたので、20そこそこの若い男性がするような遊びの経験が殆ど皆無だったのだ。
取りあえず茶々丸と渋谷へ繰り出した。
二 「なぁー声かけるときなんて言うたらええねん?」
茶 「そんなもんお前「茶―でも行かへんか?」でええんちゃうんか?」
二 「アホ!お前、ここ東京やぞ。「茶―行かへんか?」はあかんやろ!」
茶 「おぉ、そうやな忘れとったな。まぁー何でもええわ、にぃーやん先に声かけて来いや」
二 「まじかいな・・」
僕は人生で初めて街中で知らない女性に声をかけた。
二 「あ、あの・・・す、すいません・・」
女 (鬱陶しそうに振り返る)
二 「あ、あの暇ならお茶でも行きませんか?」
女 (ちらっと振り返ったけれど、明らかに見下して無視・・・・)
二 (玉砕・・・深く傷ついた・・・俺はナンパなんか無理・・・)
一部始終を見ていた茶々丸は爆笑・・・
二 「やっぱり標準語で行かなあかんで・・」
茶 「そうやな、ほな俺標準語で行ってみよか」
二 「お前、東京でて来たばっかりやんけ・・・そりゃ無謀やで」
今度は、あろうことか茶々丸は標準語を武器にチャレンジした。
(がんばれ茶々丸!!)
んがぁ~しかし・・・茶々丸も玉砕・・・。
茶 「『こんど田舎から出てきた時ね』って言われたやんけボケ!!!」
二 爆笑!
茶々丸との共同生活は楽しかった。
僕はそんな茶々丸を部屋に残してLOUDNESSの“WORLD TOUR IN JAPAN SEX UP!”の全国ツアーに出かけたのである。
ちなみに、LOUDNESSの大々的な全国ツアーも“WORLD TOUR IN JAPAN SEX UP!”で3回目になっていて、長いツアーの生活にも随分と慣れた。
全国各地ではライブ終了後には決まって打ち上げがあった。
要するに宴会。
各地のイヴェンターさんが御当地の美味しい郷土料理屋さんで宴を開いてくれた。
全国の有名な美味しいものはだいたい食べたと思う。
全国の有名な美味しいお酒もだいたい呑んだと思う。
僕はこの時期が一番お酒を呑んだかもしれない・・・。
今から思えばまったくのアホである・・。
ヴォーカリストがツアー中に酒を呑むほどの愚行は無い。
まぁーこれも若かったので致し方あるまい。
とは言うものの、体が若かったのだ、深酒をしても一晩寝れば回復していた。
二日酔いも殆ど無かったし。
それにしても血気盛んな若者バンドである。
食べる量も半端ではなかった。(笑)
呑む量も記録的であった。(笑)
豪快と言えば、大阪でふぐで有名な高級フグ料亭で食べた時、普通フグと言えば一切れ一切れ味わうものだけれど、ひぐっつあんは大皿に盛ってあるフグをすべて豪快にさらってすべて一気に鍋に放り込んでいたな・・・。
兎にも角にも、LOUDNESSの打ち上げの豪快さ&底なしさが業界で有名になった。
あるイヴェンターさんが僕に打ち明けた。
「LOUDNESSの呑む喰う量は日本のバンド界では群を抜いている。唯一打ち上げでLOUDNESSに迫るのはチャッカーズだけれど、LOUDNESSに比べると可愛いものですよ。チェッカーズにこのことを言ったらライバル意識燃やしていましたよ。」
それを聞いたひぐっつあんが「アホか!チェッカーズなんかに負ける訳無いやんけ!」と言い放った。
当時の業界内ではLOUDNESSとチェッカーズが打ち上げの豪快さでは横綱級であったそうな・・。
結局、ライブ後のあまりの飲み食いが過ぎて打ち上げ代が深刻な事態となり、事務所が悲鳴を上げた。
ある日社長が叫んだ 「お前ら呑み過ぎじゃ~~!もう打ち上げは無しじゃ~~~!!」
そしてついに打ち上げ禁止令が出てしまったのだ・・・。
お陰で、僕はアルコール中毒にならずにすんだかもしれない。(笑)
まさにLOUDNESSはSEX! BEER! R&R!!であった。
1983年12月、やっと長いツアーから開放されて久しぶりのオフに入った。
僕は当時付き合っていたミッシェルに会いに単身渡米した。
サンフランシスコではパールハーバーの特別番組が盛んにテレビで流れていた時期だった・・・・。
久しぶりに会うミッシェルは一際綺麗になっていた。
ミッシェルの金髪が輝き、ブルーの瞳は何もかも吸い込んでしまうような美しさだった。
サンフランシスコでは沢山の地元メタル/スラッシャーミュージシャンの歓待を受けた。
冬のサンフランシスコはとても美しくてロマンチックだった。

by loudness_ex
| 2009-02-18 11:58
