U2のアメリカはコロラドのレッドロックスライブで”SUNDAY BLOODY SUNDAY”を何度観たか分からないほどだ。
マー君はU2のファンだったので食い入るように観ては「格好ええなぁ~」とつぶやいた。
タッカンも「こいつらええなぁ~」と言っては一緒に観ていた。
U2にはギターソロらしいものも無く、いたってシンプルでありながらもバンドが吐き出すパワーに圧倒された。
U2を観ながら、LOUDNESSが忘れかけていたロックの持つエネルギーを思い出させてくれたような気がしたのだ。
LOUDNESSデビュー以来こだわってきたテクニカルなスタイルは、時にテクニック至上主義だと雑誌に書かれ、それは必ずしも好意的な内容ではなかったけれど確かにその一面は否定できない。
タッカンもひぐっつあんもマー君も練習の鬼と化し、その姿は怖いほどにストイックであった。
4枚目のディスイリュージョンの目指す方向性は、LOUDNESSの究極の姿を封じ込めることではあったけれど、U2を観ながら「このバンドのロックマインドは参考になるな」とメンバーで話し合ったのを覚えている。
「テクニックを超えた何かをサウンドにプラスする」、LOUDNESSは新たな方向性を本能的に模索するようになった。
レコーディングの前に日本でデモテープを作っていたけれど、サームスタジオで沢山の新たなアイデアが生まれた。
「このバラードをもっと感動的にしたいな・・」タッカンはギターを持ちながらリビングで新たなアイデアのイスピレーションを感じていた。
「ニーちゃんこれどう思う?」タッカンが弾いたメロディーは美しかった。
それは、曲の最後の部分に登場するコーラスパートで「ラーラララーララ」とリフレインすると言う。
「歌詞はどんなん考えてんの?」
「ラブソングやけど」
「だったらちょうど良い感じになるね」
タッカンのこの最後の閃きでこの曲は感動的なバラードとして呼吸を始めた。
ちなみにこのバラードはレコーディング中は結局最後までタイトルが無かった。
僕は歌詞を作ったけれど、タイトルに良いアイデアが浮かばないままだったのだ。
暫定的に便宜上英語のタイトルを付けてはいたけれど、それはもう忘れてしまった(ことにする)。
アルバムが完成してジャケットを見たら、僕の知らないタイトルの曲があった。
「”アレスの嘆き”・・・・ん?こんな曲あったっけ?」
それは担当ディレクターが考えたタイトルだった。
彼はこの曲が大好きで、「この曲はLOUDNESSの代表作になるよ!」と言っていた。
「邦題をつけたほうが良いと思って・・・」彼は少し照れくさそうに言った。
「アレスって?」僕はディレクターに聞きたかったけれど・・・やめた。
これはこれで良いタイトルだと思った。
“BUTTERFLY” “REVALATION”は実験的な曲だった。
特に“REVALATION”のサビのアイデアは今までのLOUDNESSには無いタイプで歌うのが大変だった。
メロディーが難解だったのでガイドメロディーをギターで録音してもらってそれを聞きながら歌ったけれど、未だにあのメロディーは良く分からない・・・・(笑
“ESPER”はタッカンの自信作だった。
「ニーちゃん頼むで!ニーちゃんのストロングなパフォーマンスでこの曲を格好良くしてや!俺のお気に入りの曲やから!」
実はこの曲の録音で僕はヴォーカルの録音の仕方をガラリと変えた。
それまで歌う時はヘッドホーンを爆音にしていたけれど、逆に自分の生声が聴こえるぐらいにヘッドホーンの音量を下げたのだ。
これは自分の中では革命的な瞬間だった。
喉のコントロールが格段にしやすくなったのだ。
ジュリアンも「楽に歌っているようで良いね!」とその変化にいち早く気がついた。
高音のシャウトも楽になった。
“ESPER”の最後の高音シャウト連発はそんなことで出来上がったパフォーマンスだ。
サビの歌い方もタッカンの要求に応えることができた。
“ESPER”のすべてのVocalパートが出来上がった時、「おぉ!ニーちゃんの真骨頂やな!」とメンバーが喜んでくれたのが嬉しかった!
少しヴォーカルのことが理解出来たような気がした。
“EXPLODER”を始めて聴いたときは体が震えた。
何もかもが完璧だった。
このソロのすべてのテイクが恐ろしいほどの神憑りパフォーマンスで、2~3分にまとめ上げるのが勿体無いと思った。
すべてのテイクを集めて1枚のアルバムを作っても良いほどに鬼気迫る演奏だった。
“DREAM FANTASY” “MILKY WAY” “ESPER” “CRAZY DOCTOR”のドラムテイクが出来上がった時、このアルバムはとてつもないものになると確信した。
「俺のビートがLOUDNESSの核なんや!」
ひぐっつあんのドラムはまさにそう主張しているようだ。
タッカンのリフとひぐっつあんのドラムは最強の組み合わせだ。
ひぐっつあんはタッカンのリフを聞くと溢れんばかりのアイデアが生まれた。
そのひぐっつあんのドラムに刺激されてタッカンのリフが生まれ変わったりもした。
ひぐっつあんのドラムのアイデアやビートを追求する姿勢はクリエイティブな人間の鑑であった。
ひぐっつあんの閃きは血のにじむような努力の結果でもあった。
ひぐっつあんの貪欲な探究心に終わりはなかった。
さて、このレコーディングには僕にとって大きなチャレンジがもう一つ待っていた。
英語ヴァージョンである。
当時、僕は英語が全く話せなかったし、ましてや発音の知識も皆無であった。
英詞はサウンドエンジニアのダニーマクレンドンの弟トミーマクレンドンさんが作ってくれたのだけど、英詞を読んでもどう歌って良いのか皆目見当もつかなかったのだ。
今なら、英詞を読んだだけで、ある程度の察しは付くし、メロディーもそれに合わせて歌いやすく変えることも可能だけれど、当時はそんな芸当は無理だった。
ジュリアンもさすがに英語ヴァージョンに関してはお手上げだった。
「どの程度のレベルを目指す?」ジュリアンは聞いた。
「今の二井原の英語レベルなら、我々が理解できるようにするには1年以上はかかるよ・・・・」ジュリアンは頭を抱えた。
協議の結果、ネイティブチェックは無しで行くことになった。
僕は訳も分からずに歌うしかなかった。
当時の僕の許容範囲を超えたこの英語ヴァージョンなるものは必要だったのか、今でも疑問が残る。
英語と日本語2ヴァージョンを約20日間と言う決して十分な時間とは言えないレコーディングではあったけれど、ほぼ満足のいくアルバムが完成した。
8月15日に日本を出発して初めてのヨーロッパツアーを経験し、初めての海外レコーディングを経て9月20日に“DISILLUSION”と共に帰国した。
LOUDNESSは成田空港からそのまま赤坂の日本コロンビア本社へ直行し「凱旋報告会」をやった。
日本コロンビアのスタッフが大きな拍手と共に出迎えてくれた。
製作部長の挨拶があり乾杯をした。
そこで、新人の宣伝マンのM君から驚きの報告を受けた。
「実は皆さん!!!凄い報告です!!!!先週、アメリカの大手レコード会社"ATLANTIC RECORDS”からFAXが届き、LOUDNESSと全世界契約を結びたいと連絡がありました!これは前代未聞です!日本の音楽界、ロック界にとって快挙です!」
その瞬間「ウォ~~!!」とスタッフからどよめきの歓声があがった。
「ATLANTIC?????嘘やん~~~~!!!」タッカンが興奮気味に言った。
「ATLANTICって、ツェッペリンとかAC/DCとかおるところやろちゃうん??凄いレコード会社やん!!」マー君も顔を赤くして叫んだ。
「ま、まじで??俺等全米デビューするんかぁ??」ひぐっつあんもビックリしていた。
僕はまるで他人事のように思えた。
あまりにも話が大きすぎて、実感が沸かなかった。
ビールのグラスを持っている手が震えていた・・・・。
(ATLANTIC・・・・いったいこのバンドはどこまで行くんやろ?俺たちのゴールはどこや?)