その日は快晴だった。
初夏の清々しい青い空が気持ち良かった。
人生初の時差ボケに戸惑いながらも気分は充実していた。
LOUDNESSにとって初めての海外公演の日である。
どんな事態になるのかまったく想像がつかなかった。
「大丈夫だよ!いつも日本でやっているようなライブが出来れば大成功さ!」
少しナーバスになっているメンバーに、エンジニアのダニーがウインクをしながら微笑んだ。
お昼2時頃に会場へ入ることになっていた。
僕たちは時間通りに会場へ着いたけれど、ライブハウスの扉はしっかり閉ざされて人の気配は無い。
本当にこの日ライブがあるのか?と心配になるほどだった。
マネージャーとメンバーは、いきなりライブハウスの入り口の前で待ちぼうけを喰らうことになった。
「なんかしらんけど、ゆったりしてんなぁ・・。ほんまにスタッフ来るんか?もう予定の時間30分まわってるでぇ~」
ひぐっつあんがタバコを吸いながら呟いた。
「ダニーもまだ来てへんなぁ・・・」
「楽器はもう到着してんのかな?」
「楽器は誰が持って来ることになってんの?」
「こんなのんびりしてたら、サウンドチェックできひんのちゃうか?」
日本ではオンタイムで物事が進むことに慣れきっていたメンバーがイライラしてきた。
それでなくとも、アメリカライブ初日という事で普段とは違う状況に戸惑っているだけにメンバーのピリピリ度は増していった。
入り口の前で待つこと1時間半・・・・未だライブハウスの関係者は来る気配が無い。
楽器も到着していない模様だ。
「カリフォルニアタ~~~イム!!」
誰かが言った。
こののんびりした雰囲気を見事に表現している言葉だと思った。
それ以来メンバーは、アメリカで時間通りに物事が進まない時があったら、「カリフォルニアタ~~イム!!」と言って納得&辛抱した。
マネージャーも焦りだしてダニーへ連絡を取ろうと必死だった。
入り口の前でメンバーが待ちぼうけをしていると、少しずつだがメタルファッションに身を包んだメタルキッズが集まりだしてきた。
「ヘイ!お前らLOUDNESSか?」
どうやらライブを観にきた人達だった。
話しかけてくるのだけど、英語が出来ないメンバーは愛想笑いをするしかなかった。
「まだ楽器が来ないのか?」
彼等のゼスチャーで何となくコミュニケーションが出来た。
「No Drums, No guitars yet…」
誰かが拙い英語で答えた。
そうこうしているうちに楽器車がようやく到着した。
「おいおい!えらい遅いやん!!」
マネージャーが言った。
「ごめん、ごめん車が混んじゃってて!!」
ダニーは汗だくになっていた。
楽器車にはダニーとダニーの弟のタミーと友達が手伝いに駆けつけてくれた。
時間が無い、とにかく急いで楽器を搬入することになった。
ダニー、タミー、ダニーの友人が手際よく楽器を車から降ろし始めた。
メンバーも手伝おうと思ったが、何分自分たちで楽器を運んだり、セッティングすることが無いのでとにかく要領が悪かった・・・むしろ、我々は足手まといですらあった・・・。
そんな様子をずっと横で見ていて、見るに見かねたのか、さっき話しかけてきたファンの人達数人が楽器搬入を何も言わずに手伝い始めたのだ!
気がつけば、LOUDNESSのスタッフとは全然関係の無い屈強な大男達が5~6人、ダニー等に混じって汗を流してくれていた。
皆ライブを見に来ただけのファンの人達なのに・・・本当にありがたかった。
「Thank you…」
この突然の展開にメンバーは感動した。
“Hey, No problem! LOUDNESS kick ass!!”
ファンの人達は笑顔で楽器を軽々と持ち上げてステージまで運んでくれた。
ファンの人達の協力もあり、お陰で搬入はあっという間に終わった。
メンバー全員、アメリカのライブハウスは当然始めてだ。
僕の知っている日本のライブハウスとはまったく違った雰囲気だった。
とは言え、僕のライブハウス経験と言えば、大阪、京都のライブハウス数箇所ぐらいしかない。
はっきり言って日本のライブハウス事情もあまり詳しいとは言えなかった。
ひぐっつあんもタッカンもライブハウスの経験がそれほどあったとも思えなかった。
よくよく考えると、LOUDNESSは、アースシェイカーのようにライブハウスから叩き上げて這い上がって来たバンドではない。
デビューでいきなり2700人の会場だった。
その後はその規模の会場でのライブばかりだった。
こうして考えると、LOUDNESSはイレギュラーな進化をして来たバンドだった。
要するに、LOUDNESSは日本で普通のバンドなら経験するような所謂「下積み苦労」と言うものが無かった。
いきなり売れたのだ。
勿論、レイジーと言う伏線が「下積み苦労」を吹っ飛ばしてくれたのは言うまでもないが、それにしても売れるスピードは凄まじく速かった。
僕などはそのスピードに追いついていけなかったのだから。
LOUDNESS結成から2年が経って、始めて何も無い土壌からバンドがスタートを切ろうとしている。
この国にはレイジーのようなアドヴァンテージは無い。
アメリカのライブハウスでは日本で使っているような豪華なステージセットは無い。
超派手な照明も、物凄い量のPAシステムも。
ここにあるのは最小限の照明とPAだけだ。
バンドの本当の実力が試される時が来たのだ。
LOUDNESSが自分たちの力でゼロから成功を掴む旅が今始まろうとしている。
始めての海外活動はアメリカはサンフランシスコのライブハウスがスタートであり、同時にこれがバンドLOUDNESSとして本当の意味での出発であったのだ。
そうだ、このライブハウスがLOUDNESSの第二のデビュー、まさにゼロからの出発点なのだ。
外ではすでに、ライブが待ちきれないかなりの数のメタルキッズの雄叫びがこだましていた。
僕はこのアメリカの屈強な大男たちのヘビーメタルな雄叫びを聞き、緊張がピークに達していた。
緊張で何度も吐きそうになった・・・。
こうして、4人の若い侍の命がけの挑戦が始まったのだ。