LOUDNESSの初全国ツアーのゲネプロ(通し稽古)が渋谷ヤマハエピキュラスで行われた。
そこはリハーサルスタジオではなくコンサートホールだった。
お客さんのいないコンサートホールで本番通りのライブをやるのだ。
それにしても、お客さんがいないライブは妙な気分だった。
爆音リハーサルは無事に終了。
「二井原君、これから全国でライブツアーをやるんだよ!」
この舞台監督の言葉に胸が躍った。
全国ツアーかぁ・・・
1982年4月、いよいよLOUDNESS初のツアーが始まった。
初日は福岡都久志会館だった。
福岡へは飛行機で行くことになっていた。
ライブ当日、早朝に羽田集合、僕は緊張していた。
ライブ初日で緊張と言うこともあったけれど、それよりなにより、生まれて初めて乗る飛行機に心臓が口から飛び出てくるような思いだった。
当然、飛行場も生まれてはじめての場所だった。
飛行場内は不思議な空間だった。
旅立ち、別れ、出会い・・・etc様々なドラマが繰り広げられている。
この空港独自の雰囲気がとてもロマンチックなように思った。
僕は今でも空港にいると、胸がキュンとなって不思議なセンチメンタルな気分になるのだ。
「ニイチャン、飛行機乗る時は靴脱がなあかんねんで!」
飛行機搭乗手続きで待っている時に、タッカンが真顔で僕にアドヴァイスした。
(靴脱ぐ?そんなアホな・・・)
他の乗客の行動を見て、みんな靴を脱いでいる様子も無いので、すぐに嘘だと分かったけれど、わざと飛行機搭乗口で靴を脱ぐ真似をしたら、「お客さん、お靴はそのままで」とスチュワーデス(現フライトアテンダント)のお姉さんが苦笑しながら言ったのが可笑しかった。
飛行機席に着くと機内の圧迫感に息苦しくなった。
小さな小窓から外の様子が見えた、外の朝日が綺麗だった。
座席の肘掛の下に数個ボタンがあったので触って遊んでいると、いきなりフライトアテンダントのお姉さんが飛んで来て「何か御用ですか?」と聞かれた。
「いや、すみません、間違ってボタン押しました・・・・」
これにはビックリした・・・・。
飛行機の離陸の時間が来た。
飛行機はゆっくりと動き出し、滑走路でグングンとスピードを上げ、僕は今までに感じたことの無い加速Gに「ひゃ~~~」っと声をあげてしまった。
その途端、飛行機がガタガタと大きな音と共に激しく揺れ始めた。
(うぉ!!こ、こりゃなんじゃ!!爆発するんちゅうか?)
僕は恐怖で呼吸が出来なくなった。
手が震え座席で身を硬くした。
激しく揺れた瞬間、飛行機は機首を上げ離陸を始めた。
小窓の外の風景が斜めに見え、飛行機は大きく旋回した。
(うわ~~~飛んでるでぇ~~~~!!!浮いてるでぇ~~~
~!!あり得ん!あり得ん!!)
僕は挙動不審になって声にならない声を漏らした。
町並みはあっという間に米粒ほどになり、窓の外のちょっと下の方に雲が見えた。
雲の上には曇りが一切無い真っ青で鮮やかな空が広がっていた。
始めて見る雲の上の世界、その美しさに僕は陶酔した。
このまぶしい青い空を見ながら(この空の向こうは宇宙なんやなぁ・・・)と思った途端、感動で涙が出そうになった。
この雄大な空を見ていると、何もかもがちっぽけに思えた。
ロックミュージシャンと言う世界に身を置くようになった自分が、いったいどこへ向かって走っているのか?これからいったいどうなっていくのか?どこへ導かれていくのか?色んなことがグルグルと頭の中で駆け巡った。
運命とは本当に摩訶不思議な物語だと思った。
この青い空のどこかに偉大なる存在がいて、僕に語りかけているような気がした。
この初のツアーでは、福岡(福岡都久志会館)、大阪(大阪毎日ホール)、愛知(勤労会館)、東京(日比谷野外音楽堂)でライブをやった。
どこの会場も熱狂的なファンで溢れていた。
各地の強烈なメタルヘッドバンガー達の熱狂振りは凄まじかった。
スタッフはライブ中ずっと将棋倒しなどの事故が起こらないようにピリピリとしていたし、実際、ライブ開始2曲で一旦ライブを中止して、会場内客電を付けてお客さんを落ち着かせると言うこともあった。
各地のホテルのロビーにはファンの人が沢山いて、僕はその人達にどう対処してよいのか戸惑った。
サインをしたり、一緒に写真をとったり・・・46時中気を休めることが出来なかったけれど有難かった。
ファンレターやプレゼントで荷物が倍ほどに膨れ上がった。
ステージではニューギターヒーローと呼ぶのに相応しいタッカンの存在は、本物が放つオーラで溢れていた。
ひぐっつあんもたっかんに負けじと、主張の激しいドラムサウンドを爆裂させていた。
そして、マー君と僕はとにかく必死だった。